orig: 2002/01/27
rev1: 2002/03/15 言い回し
同書では「日本人は北から南まで等質性を示す」というサブタイトルをつけて、この表を提示している。本文では、佐渡、飛島(秋田)、奄美、宮古(沖縄)、石垣、与那国を除いて、本土内部では「全く等質」としている。この等質性は「長い年月の間、変わることなく古い時代からの平衡状態が永く保たれていると考えてよい」と述べ、「異質性を持った集団との混血の機会が、それほど多くなかったことも示している」という。
そうなのか?
等質性、をどう定義しているのか不明だが、各色について、日本各地の頻度と日本全土の加重平均(と思われる)の頻度の差の自乗を加算した「等質指数」なるものを計算してみると、上記の6集団(とアイヌ(日高))は確かに日本の他の集団と離れている。(上記の「等質指数」で東京の0.00009から岡山の0.00259、那覇の0.00313までを等質とし、佐渡の0.00340から与那国の0.01570、アイヌ(日高)の0.01857を異質としているようだ。
さて、バイカルのヤクート三集団の数値の日本全土の加重平均に対する上記と同様の等質指数を求めてみると0.00393 0.00394 0.00493 となる。著者は定義していないが、上記の私の分析によると、日本人集団に対する等質・異質の境界を0.0033あたりに設定していることになる。それに依るとバイカルのヤクートは「異質」に類する。しかしながら、佐渡、飛島、奄美、宮古、石垣、与那国まで含めた日本人集団なら、その中にこれらヤクート三集団を混ぜても日本集団の等質指数の最大値(与那国の0.01570)以内に入る。
しかしエニセイのネンツイは石垣の集団よりも日本全土平均に近い。東北中国の海拉のツングース、中国延吉の朝鮮集団、の方が宮古集団よりも日本全土平均に近い。それはそれで構わないだろう。
重要なことは、この指数、即ち、青緑黄赤を持っている人の比率が似ていれば人種が同じなのか、ということだ。端的に言って、ABO型血液型でも同様なことが出来よう。A,B,Oを持っている日本人の比率がどこかの地域の集団と至近だったら、日本人の源郷がそこになるのか?
ABOとGmでは話が違う、Gmは人種を区別する可能性をもっている、という反論があろうか? Gmは確かに人種を「ある程度」区別することが出来る。それは、白を持っていれば所謂白人だし、黒・茶・灰を持っていれば所謂黒人だ。一方、所謂白人でも青、緑(旧モンゴロイドかと思われる)だけしか持っていない人もいる。黄を持っていれば、恐らく新モンゴロイドと言われる人種だろう、決してアフリカや欧州の血統ではない。それはいえる。しかし、そのレベルの解像度であって、何民族だとか何国人だ、とまでは言えないのだ。
もう一つ詳しい論証を見たいのが、「日本列島内の人口現象は、他国と違って周囲が海であるため、古来著しい人口の流入または流出がなかったことが一つの特徴であり、いわば封鎖人口というべきものである。」p116として、最近取ったデータによる青緑黄赤の頻度が一万数千年にわたって平衡状態にあった、としている点についてだ。
人口流入はかなり大きかった、とするのが小山修三、埴原和郎さんだ。大陸・半島からの移住民によって弥生時代が始まったと概観し、その数は「無視できるほどではない」としている。松本さんの立場から言えば、幾ら多くとも、それら移住民は「異質性を持った集団」ではなかった、ということなら本書の考えもなりたちそうだ。しかし、それは或る意味で当然だ。日本の周囲の集団のGm遺伝子頻度は似たようなものだからだ。
やはり、「等質性」の客観的定義(上記の私の試論でも良さそうに思うが)、等質なら長年混血がなく平衡状態にあったと考える論拠、青緑黄赤の出現頻度が至近だと同民族なのか、あるいは、源郷を特定できるような解像度で人種・種族が同源だったといえるのか、をもっと知りたいと思う。
下に各遺伝子頻度を色ごとに分離して小さい順番に並べたグラフを掲げる。上記で異質とされた地域(佐渡、飛島(秋田)、奄美、宮古(沖縄)、石垣、与那国、そして日高アイヌ)が各グラフの左端、右端にあるのが判る。