書評

orig: 2001/08/07
収録: 2002/02/18


椎名慎太郎 山梨学院大学法学部教授 2001/08/07

    しばらく前に通読して大変面白かったという印象が残っていますが、あらためて感想を書くとなると、もう一度ひっくり返すまでの暇もなく、大変雑駁なことになりそうですがお許しください。

    まず、大変感心したのは、アイヌ語に関する該博な知識、古代神話、比較言語学など関連領域の膨大な文献の渉猟、なによりも語調や語呂合わせによる新解釈(例・87頁以下の酒折の老人の話)はかなり説得力を感じました。日本語混合言語説も、管見の範囲ですが現在の日本人成立に関する人類学の有力説と符合していると思います。以前にも、地名や神話を題材に古代史を解明したという類の書物を少なからず読みましたが、本当のところ貴兄の新著ほど説得力のあるものには出会わなかったような気がします。

    今後のご研究のヒントになるかとも思い、若干の疑問点を申し上げます。パラダイム(27頁)で示された縄文語を「縄文末期」とされていますが、この時期(考古学では縄文後期・縄文晩期と編年するので、多分晩期のことか?)でも日本全国で少なくとも6類型ほどの土器の地方による差異があります。もちろん、秋田のピッチや各地の黒曜石の移動のように、この地域圏間でも交流ないし交易があったでしょうが、今日の方言以上の偏差がありうるこの各種縄文語と現代アイヌ語とをどうつなげるか。

    実は最近弥生文化にける地域圏の問題もかなり有力に問題提起されていますので、この地域格差の問題はかなり重要だと思います。例えば、妻木晩田遺跡、田和山遺跡で注目されている日本海西部一帯の四隅突出型墳丘墓はかなり個性的な地域色を示しています。それと、縄文時代は中期を中心に、東高西低が顕著で、たとえば九州では中期の遺跡はかなり希薄です。要するに、人口分布でかなりの偏りがあるということも今後のご検討で参考にされる必要がありそうです。

    もう一点、比較言語学を中心とする方法論の問題。考古学は遺跡や遺物、歴史学は文書というある程度確かな根拠があるのですが、貴兄が主に拠られた比較言語学はヨーロッパの印欧語を対象にして確立された方法で、これが他の語系でどれだけ妥当するか、ここにも課題がありそうに思います。とりあえず今思い浮かんだ感想を文章にしてみました。妄言多謝。


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