タイトル | : 邪馬台国 |
記事No | : 2100 |
投稿日 | : 2012/06/14(Thu) 09:02 |
投稿者 | : 大三元 |
HPをご覧になった方から「邪馬台国はなかった」という説をどう考えるか、という趣旨のご質問があった。私の回答をこの場に適合するように編集して記載しておきます。
「邪馬台国はなかった」という本では記憶では確か「臺(ダイ)」ではなく「壹(イ)」であり従って「ヤマイ」国である、ということが基本だったか、と思います。
私はどちらもハズレであろう、と思っております。と申しますのは、少なくとも奈良朝時代の日本語(上代日本語)では二重母音が嫌われていて殆ど例がありません;この傾向が3世紀に遡りうるのかは不明というほかありませんが、この傾向に照らすと「ヤマタイ」「ヤマイ」という風に二重母音が現れるのは古日本語としては疑問を持つべきことだと思います。
私は「臺・台(ダイ)」と「代(ダイ)」が中国側で同じ音であることから「邪馬台」は「山代」と等価であろうと推論しました。そして二重母音はなかった、という仮定の上で、山代は「ヤマデ」(清音で「ヤマテ」かも)であったか、と推論しました。 http://www.dai3gen.net/nokagami.htm#yamade
日本語側で「ヤマテ」などの「テ」と「ヤマシロ」などの「シロ」が近似しています。 これは、時代別国語大辞典上代編「しろ【代】」の項の最後の方に: 『接尾語的に用いられるテ(→て【代】)と似た意味の語である。』 とあることに依拠しています。 すなわち「邪馬台」は「ヤマテ」であり「ヤマシロ」と等価である、というのが私の結論現況です。
さてその「ヤマシロ」は今の京都の山城か、となると結論は急ぎますまい。出雲の「山代郷」周辺の可能性も捨て切れません(山代日子命坐す)。
あと「卑弥呼」の「呼」も「こ」と読むのはおかしい;むしろ「ほ」と読むべきか、と以前考えましたが最近は「を」が良いか、と思ってます。最近のUPもご覧下さい: http://www.dai3gen.net/himiwo.htm
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