銅鐸は鐸だったのか 銅鐸は鐸だったのか 銅鐸の表面を観察していて、疑問に思った事があります。表面に描かれることが多い格子状の文様です。これと同じ物を見た記憶がどこかにあるような、昔の竹籠の模様に似ている感じがしました。たまたま関裕二先生の「おとぎ話に隠された古代史の謎」を読んだ直後でしたので、日本人の魂=鳥のイメージが思い浮かびました。未開部族の中には鳥葬を行う部族があるそうですが、その時の映像ー遺体を入れた網袋ーの形状をディフォルメすると銅鐸のイメージになるのではないか。つまり銅鐸の原型は楽器などではなく棺ではなかったか。舌が同時に出土した例も有るそうですが、これは形式が進化した末の進化ではないかと。竹編みの籠の中で風化した遺体がカタカタと鳴る風景を、模したものが初期の銅鐸ではなかったか。銅鐸の出土場所が、当時の村落の中心ではなく村はずれの小高いところであるのも、中の遺体が風化するまで村落が見渡せる小高い丘の上にぶら下げられ、その後(魂が鳥に移って天に帰った後)中の遺骨をきれいに取り去られた棺(銅鐸)はその地に埋められた。お祭りになると先祖の帰ってくる依り代として、祭りの場に掲げられ、表面に描かれた祖先の事績(狩など)を蘇らせ、偉大な先祖のことを語り合う。そんな用途に使われたものが、後の時代になると音(先祖の声の代わり)と先祖の呪力によって村を守るアイテムに変化したのではないでしょうか。 岡山県 マサ右衛門
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