「あらはばき」を考える

ORIG: 2000/04/15
荒脛などと書かれてアラハバキと読まれる神がありアラハバキ神社も多い。[神奈備さんのサイト:あらはばき]に含まれている瀬藤氏の資料によると全国で150余りを数える。表記は、
麁脛バキ、荒覇吐、荒吐、荒羽、阿良波々岐、荒脛巾、荒掃除、新波々木、阿羅波婆枳、荒羽々気、阿羅波比
など多様である。分布は
陸奥、出羽、常陸、武蔵(多数)、房総、相模、甲斐、越後(2)、参河(1)、伊豆(1)、伊勢(3)、丹波(1)、摂津(1)、伯耆(1)、出雲(多数)、隠岐(9)、安芸(6)、備後(1)、周防(6)、長門(1)、伊予(多数)、土佐(2)、肥前(1)、壱岐(1)
となっている。

実はこれらの数字には「客人」という表記の神社も加えてある。特に西国に多い。それは、既に柳田国男がアラハバキ考で示したように、アラハバキは旅をして回る神という性格があるからである。もっとも直接的には、出雲国島根郡爾佐神社境外社「荒神社」はマロトさんと呼ばれていた、という証言がある。マロトとは、まろうど、客人のことである。

マロト、マロード、に就いては
萱野茂のアイヌ語辞典では
marapto (宴、饗宴、祝宴、熊の頭)
中川裕の辞典では
maratto(酒宴;送り儀礼で家の中に運び込まれたクマなどの頭;その耳と耳の間(*下注)に魂が座っていると考えられており、賓客として扱われる)
知里高央のアイヌ語絵入り辞典では
marapto をズバリ「お客」としている。
が奇妙な符合を見せている。

マロードが日本語からアイヌ語への借用なのか、逆にアイヌ語から日本語が借用したのか、はたまた縄文語に由来して日本語にもアイヌ語にも平行的に入った語彙かは俄かには判らないがいずれにしても相互関係の深さだけは明確である。

そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。

一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。


「耳と耳の間」は kisar utur と翻訳出来る。キサラツがこれかと、アラハバキ神社リストを見てみると、千葉県木更津市と袖が浦町の境から北へ10kmほどの所に上総では唯一のアラハバキ社である姉崎神社(市原市姉崎2278)がある。ここの末社に「新波々木社」がある、アラハハキの宛字である。(姉崎<ane-pa=狭い・崎、か。アーバン・クボタ#18関東堆積盆地特集p21図7を見ると木更津の大きな岬と姉崎の相対的に細い岬があったようである。)
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