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速日考 |
日本書紀本文では、ニニギの子供に「火明命」があり、混乱しています。
一方、書紀なら神武天皇の東征出発に際して「饒速日」と呼ばれる人が出てきます。また、先代旧事本紀では「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」は「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」(ニギハヤヒ)の父親であると書かれています。
ニニギとニギハヤヒのロング・バージョンの名前には、両者とも「天・国・」の対比を見せている点、と「ニギ」音の入っている点で良く似ています。
それはともかく、本稿では「速日」の付く名前を列記して考察してみます。
●データ類:
天照大神と須佐之男命のウケヒから | ||
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊 | ニニギの父親 | 書紀本文 |
天穂日 | ニニギの叔父 | 参考まで。 |
熯速日 | ニニギの叔父 | 書紀第3の一書。 |
熊野クスヒ | ニニギの叔父 | 参考まで。 |
カグツチが殺されて生まれたものに | ||
甕速日 | . | 子供に「武甕槌」が居る。書紀第6の一書。 |
樋速日 | . | これと上記の「熯速日」の異同は不明 |
先代旧事本紀に現れる名前 | ||
饒速日 | 天押穂耳の子 | しからばニニギの兄弟?ニニギの異伝?旧事本紀第3巻冒頭 |
槌速日 | . | 甕速日・熯速日の別名としている。第1巻 |
乳速日 | . | 32人の家来の一人として出てくる。第3巻 |
「樋速日・熯速日」の関連では、出雲風土記、大原郡に「樋社{斐伊社坐斐伊波夜比古神社}」がある。今、雲南木次町里方にある。出雲神社リストの328番に出ています。
●これらから、作業仮説が幾つか樹てられます。即ち、
天穂日(<天速日???)が出雲に国譲りを迫った。うまく行かない。穂日の息子、三熊(ミクマ m_k_m ≒ m_k_n ミケヌ)大人(うし)がトライするが、うまく行かない。熊野大社の祭神は「櫛御気野(ミケヌ)命」である。これは、三熊大人自身か、或いは、その子孫に「ミケヌ(御毛沼)」が居ても良さそうな名前に見える!!!
「ミケヌ」は神武天皇の兄の名前でもある(三毛野命、三毛入野、稚三毛野命とも)
甕速日と槌速日の兄弟が「甕槌」に習合して、出雲に国譲りを迫って成功。熯速日も乳速日も降臨して来る。これらを「速日」の在出雲第一世とする。?速日は後世まで出雲に留まり「斐伊波夜比古神社」に祭られる。
二世の「饒速日」が一世の誰かから生まれる。後に河内哮峯に降臨。神武が東征して来る。これは、饒速日の出雲から畿内への「東征」のことか? 従兄弟の饒速日に畿内の国譲りをさせる。
ここらの(ヒ)ストリーが気に食わない人(景行?応神?雄略?継体?天智・天武 ?)が、今、正史に見られるようなストーリーを構成して行った???
だから、磯城の系統に「チチ」「ハヤ」「ヒ」なんて名前が今まで伝わってる。 剰り聞き慣れない「乳速日」であるが、「チチ」、類似音としての「トト」、そして 「ハヤ、速」音のある名前に就いてまとめてみた。この表は、 ヤマトトト(ビ)モモソ姫の考察でも使用している。
名称 | チチ/ トト | ハヤ | ヒ | マワカ | ホソ | |
乳速日 | ○ | ○ | ○ | × | × | |
細媛 | × | × | × | × | ○ | |
春日千乳早山香媛(記:春日千千速眞若比賣) | ○ | ○ | × | ○ | × | |
磯城県主太眞稚彦 | × | × | × | ○ | △太 | |
賦登麻和訶比賣(記) | × | × | × | ○ | △太 | |
倭国香媛(記:意富夜麻登玖迩阿禮比賣) | × | × | × | ? | × | |
倭国早山香姫(書紀頭注所引・十市系図) | × | ○ | × | ○ | × | |
倭迹迹日百襲姫(記:夜麻登登母母曾毘賣) | ○ | 迹? | △ | 目細? | 百襲? | |
倭迹迹稚屋姫(記:倭飛羽矢若屋比賣) | ○ | △ | △ | △ | × | |
倭迹速神浅茅原目妙姫 | △ | ○ | 目 | 目妙 | =目細? | |
千千衝倭姫(記:千千都久和比賣) | ○ | 疾ク? | × | × | × |
即ち、饒速日に伴って降臨してきた「乳速日」の「チチ」「ハヤ」などの音を名前に持つ娘達、従って乳速日の後裔かと思われるの娘達が、いわゆる欠史8代で主要な立場に置かれているように窺える。
千速フル、なんてのもここら辺から、来たのだろうか?(余談) 季刊・邪馬台国#59で安本美典氏が古代音の音価推定をして居られる。 結論だけ拝借すると「チ」と「ツ」の混用、と漢字の中古音の検討から「チ」は「チュイ」 に近い(「トゥイ」ではなく)とのことである。同様に「ト」は「トョ」とか「テョ」に 近かった、と推定されている。
つまり、「チチ」は「トト」とも通じるように思える、と思っているのは私。 それで、倭迹迹日百襲姫の「トト」も「乳速日」伝来のもの、と仮定している。
「ハヤ」は、磯城県主の初代「黒速」から、「葉江」「波延」(「江」「延」は ye)、 「速真若姫」、更には、「蝿イロネ・イロド」に迄伝わっているように窺える。 (但し、「蝿」は hahe であり、葉江が haye であるのと微妙に違っては居る。)
尚、「早山香」とか倭飛「羽矢若屋」などは、ハヤにマワカが付加された為に、発音し難く、訛ったものと考えている。(マヤワカ考)
「ヒ」が、些か悩ましい。(^_^;)
確かに、倭迹迹日百襲姫には「日」が入っているが、他には顕著ではない。
倭飛羽矢若屋比賣にも「飛び(トビ)」と読んで「日/ビ」を認知しても良いのかもしれない。そんな訳で「ヒ」の列には△を付けた。
オリジナルは「日」であって、書写の段階で「目」に変わって、「マ」と読まれて、 段々に「目」が太いの細いの、くわしい(妙)だのと形容が発展して行ったと考える のか、(つまり、例えば「千千速真若姫」は、本当は「千千速日・若姫」だったのか、 それが次いで「千千速目・若姫」を経て「千千速真若姫」になったのだろうか。
それとも逆に、オリジナルは「マ」であって、それに「目」の字を使った、書写の段階で 「日」に誤った、のだろうか。これだと、磯城の系統に「乳速日」の影響を見ようとした 仮説は少し弱くなる。
「太真若」「賦登麻和訶」vs.「細姫」「目妙」(妙=細=クハシ)「百襲」 (伝統的には古事記が「母母曾」としているので「モモソ」と読んで、その語義を 「百、十のことか」なんて書いて有ったりするのですが、「百」は「ホ」 とも読めるので、そうすると、「百襲」は「ホソ」と読める。)