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速日考
orig: 95/09/15
rev1: 97/07/11 format
rev2: 98/06/13 tabulizing

日本書紀(第8に一書)では「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」は「照彦火明命」の父親であり、また、「饒石饒石天津彦火瓊瓊杵尊」(ニニギのミコト)の父親とされています。

日本書紀本文では、ニニギの子供に「火明命」があり、混乱しています。

一方、書紀なら神武天皇の東征出発に際して「饒速日」と呼ばれる人が出てきます。また、先代旧事本紀では「正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊」は「照彦天火明櫛玉饒速日尊」(ニギハヤヒ)の父親であると書かれています。

ニニギとニギハヤヒのロング・バージョンの名前には、両者とも「・」の対比を見せている点、と「ニギ」音の入っている点で良く似ています。

それはともかく、本稿では「速日」の付く名前を列記して考察してみます。

●データ類:

天照大神と須佐之男命のウケヒから
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊ニニギの父親書紀本文
天穂日ニニギの叔父参考まで。
熯速日ニニギの叔父書紀第3の一書。
熊野クスヒニニギの叔父参考まで。
カグツチが殺されて生まれたものに
速日.子供に「武甕槌」が居る。書紀第6の一書。
速日.これと上記の「熯速日」の異同は不明
先代旧事本紀に現れる名前
速日天押穂耳の子しからばニニギの兄弟?ニニギの異伝?旧事本紀第3巻冒頭
速日.甕速日・熯速日の別名としている。第1巻
速日.32人の家来の一人として出てくる。第3巻

「樋速日・熯速日」の関連では、出雲風土記、大原郡に「樋社{斐伊社坐斐伊波夜比古神社}」がある。今、雲南木次町里方にある。出雲神社リストの328番に出ています。

●これらから、作業仮説が幾つか樹てられます。即ち、

  1. 「饒速日」は、実は「甕速日」か「熯速日」の子であり

  2. 「武甕槌」が出雲を征服したのに何故天孫降臨が出雲でなく日向であったのか、との疑問も、実はチャント「速日」一族が出雲に降臨してたのだそこから「饒速日」の時代に河内の哮(いかるが)の峰から畿内に移った。

  3. 「天穂日」には「速日」の字音がないが、速日の系統につながる一族であろう。

  4. 上記作業仮説への補足事項:

    • 古事記にある出雲、大国主系図に、
    • 4世:速甕之多気佐波夜遅奴美神==前玉比売<天之甕主神
    • 5世:甕主日子神==比那良志毘売<オカミの神
    • 6世:多比理岐志麻流美神==活玉前玉比売<比比羅木之其花麻豆美神

  5. 上記の系図は「甕」と「速」の2語の共通を理由に 下の様に比定できまいか(なお、「波夜」の部分にも「ハヤ」が観察出来るが、 この部分は「佐波」「夜遅」という分け方が選好される。)

    • 4世:甕速日 または 熯速日
    • 5世:饒速日
    • 6世:ウマシマヂ
即ち、古事記はこのように「饒速日」の系統を隠している、と。
余談:「前玉」=サキタマ>埼玉 と 武甕ヅチの香取鎮座 が関係ありそう。
広島県三次町に「知波夜比古神社」あり(江の川沿い)、約20km離れて「知波夜姫神社」(三次町の北西の布野村)がある。(布野川沿岸)
●疑問集

天穂日(<天速日???)が出雲に国譲りを迫った。うまく行かない。穂日の息子、三熊(ミクマ m_k_m ≒ m_k_n ミケヌ)大人(うし)がトライするが、うまく行かない。熊野大社の祭神は「櫛御気野(ミケヌ)命」である。これは、三熊大人自身か、或いは、その子孫に「ミケヌ(御毛沼)」が居ても良さそうな名前に見える!!!

「ミケヌ」は神武天皇の兄の名前でもある(三毛野命、三毛入野、稚三毛野命とも)

甕速日と槌速日の兄弟が「甕槌」に習合して、出雲に国譲りを迫って成功。熯速日も乳速日も降臨して来る。これらを「速日」の在出雲第一世とする。?速日は後世まで出雲に留まり「斐伊波夜比古神社」に祭られる。

二世の「饒速日」が一世の誰かから生まれる。後に河内哮峯に降臨。神武が東征して来る。これは、饒速日の出雲から畿内への「東征」のことか? 従兄弟の饒速日に畿内の国譲りをさせる。

ここらの(ヒ)ストリーが気に食わない人(景行?応神?雄略?継体?天智・天武 ?)が、今、正史に見られるようなストーリーを構成して行った???

だから、磯城の系統に「チチ」「ハヤ」「ヒ」なんて名前が今まで伝わってる。 剰り聞き慣れない「乳速日」であるが、「チチ」、類似音としての「トト」、そして 「ハヤ、速」音のある名前に就いてまとめてみた。この表は、 ヤマトトト(ビ)モモソ姫の考察でも使用している。

似たような名前群、書紀ベース: ( )内に古事記の表記
===類似点チェック===
名称チチ/
トト
ハヤマワカホソ
乳速日××
細媛××××
春日千乳早山香媛(記:春日千千速眞若比賣)××
磯城県主太眞稚彦×××△太
賦登麻和訶比賣(記)×××△太
倭国香媛(記:意富夜麻登玖迩阿禮比賣)××××
倭国早山香姫(書紀頭注所引・十市系図)×××
倭迹迹日百襲姫(記:夜麻登登母母曾毘賣)迹?目細?百襲?
倭迹迹稚屋姫(記:倭飛羽矢若屋比賣)×
倭迹速神浅茅原目妙姫目妙=目細?
千千衝倭姫(記:千千都久和比賣)疾ク?×××

即ち、饒速日に伴って降臨してきた「乳速日」の「チチ」「ハヤ」などの音を名前に持つ娘達、従って乳速日の後裔かと思われるの娘達が、いわゆる欠史8代で主要な立場に置かれているように窺える。

倭迹迹日百襲姫・考

 千速フル、なんてのもここら辺から、来たのだろうか?(余談)

季刊・邪馬台国#59で安本美典氏が古代音の音価推定をして居られる。 結論だけ拝借すると「チ」と「ツ」の混用、と漢字の中古音の検討から「チ」は「チュイ」 に近い(「トゥイ」ではなく)とのことである。同様に「ト」は「トョ」とか「テョ」に 近かった、と推定されている。

つまり、「チチ」は「トト」とも通じるように思える、と思っているのは私。 それで、倭迹迹日百襲姫の「トト」も「乳速日」伝来のもの、と仮定している。

「ハヤ」は、磯城県主の初代「黒速」から、「葉江」「波延」(「江」「延」は ye)、 「速真若姫」、更には、「蝿イロネ・イロド」に迄伝わっているように窺える。 (但し、「蝿」は hahe であり、葉江が haye であるのと微妙に違っては居る。)

尚、「早山香」とか倭飛「羽矢若屋」などは、ハヤにマワカが付加された為に、発音し難く、訛ったものと考えている。(マヤワカ考

「ヒ」が、些か悩ましい。(^_^;)
確かに、倭迹迹日百襲姫には「日」が入っているが、他には顕著ではない。 倭飛羽矢若屋比賣にも「飛び(トビ)」と読んで「日/ビ」を認知しても良いのかもしれない。そんな訳で「ヒ」の列には△を付けた。

オリジナルは「日」であって、書写の段階で「目」に変わって、「マ」と読まれて、 段々に「目」が太いの細いの、くわしい(妙)だのと形容が発展して行ったと考える のか、(つまり、例えば「千千速真若姫」は、本当は「千千速日・若姫」だったのか、 それが次いで「千千速目・若姫」を経て「千千速真若姫」になったのだろうか。

それとも逆に、オリジナルは「マ」であって、それに「目」の字を使った、書写の段階で 「日」に誤った、のだろうか。これだと、磯城の系統に「乳速日」の影響を見ようとした 仮説は少し弱くなる。

「太真若」「賦登麻和訶」vs.「細姫」「目妙」(妙=細=クハシ)「百襲」 (伝統的には古事記が「母母曾」としているので「モモソ」と読んで、その語義を 「百、十のことか」なんて書いて有ったりするのですが、「百」は「ホ」 とも読めるので、そうすると、「百襲」は「ホソ」と読める。)


マヤワカ考
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