orig: 99/06/23
この4つの名前って関連していそうなんです、という話。。。
縄文語の後裔ではないかと思っているアイヌ語で関連語彙を最初にリストしておきます。
itak | 言葉、話す | . |
iso | 豊猟 | itak-isoイタキソ、を考えたのだが。。。 |
iso-itak | 話す(物語する/中川) | 猟の話をする、に限るのか? |
itak sinne | 話しているようだ | <itak sir neの音便 |
itak sura | 遺言 | <言葉を放つ |
itak-ke | 〜を話す | itakの他動詞 |
itak-te | 話をさせる | itakの使役相、音便で itat-teとも(入門p175 rekte:rette) |
itak-tek | ちょっと喋る | cf.概説p146 |
itak siri-ne | 喋っているように思える | 中川「シリネ」p224 |
sine | 1 | . |
sine itak | 一言 | . |
sir etok | 陸地の先=岬 | 事代主三穂碕説話 |
sinna | 変わる、別の、 | 代わり>代? |
上記を参照しながら:
「イタテ」と「イタケ」が近いことは何もアイヌ語を介せずとも日本語の範疇での訛りかもしれない、とも言えましょうが、アイヌ語で考えた場合のミソは、イタケ/イタテの語意が提案できることと、「一言」とか「事代」ともつながりそうなことでしょう。
さて、その神格を樹木繁茂とされている「五十猛」ですが、「言語」という性格があるのでしょうか。それを見るために出雲で五十猛を祭っている神社を調べてみます。出雲には187の神社が延喜式に載っていますがそのうち10社ほどが何らかの形で五十猛を祭っています。(リストを末尾に添付しておきます。)
この内3社に就いて「言語」の性格がありそうなことが窺えます。即ち
更に強弁をもう一つ。ホムチワケの日本書紀バージョンであるが、そこではこの皇子は「誉津別王」と書いてありホムツワケとなっている。それはともかく、喋ることが出来なかった皇子が鵠(白鳥?)が飛ぶのを見て「あれは何だ」と喋りはじめた。そこで鳥取造の先祖である「天湯河板挙」が諸国を巡ってその鳥を取ってきて、皇子はついに喋ることが出来るようになった、とある。
ここの「天湯河板挙」の「板挙」は「タナ」と言う、と書紀自身が書いているので、ずーっと「あまノゆかわたな」と読まれてきている。どうだろう、「板挙」は「イタ・ケ」と読むのではないだろうか。「喋らせる」でドンピシャなんだが。。。そうだとすると、「湯河」も「ユーカラ」か。ここまで言うと今まで付いてきて下さった方も離れてしまうか、、、フォントを小さくしておこう。。。
出雲で五十猛を祭る神社
(神奈備HP、より抜粋・編集)
●玉作湯神社「櫛明玉神、大名持神、少毘古那神 配 五十猛神」
島根県八束郡玉湯町大字玉造字湯端508
●同社坐韓國伊太
神社[・・カラクニイタテ]
玉作湯神社に合祀「五十猛命」植林・殖産・産業振興の祖神。
島根県八束郡玉湯町大字玉造字湯端508
揖夜神社[いや]「伊弉冉命、大己貴命、少彦名命、事代主命」
出雲国風土記には[言屋社]と出ている。
古事記神代巻には伊賦夜坂に就いて記されている。
● 同社坐韓國伊太
神社[・・カラクニイタテ]
揖夜神社本社域内の同社坐韓國伊太
神社「素盞嗚命、五十猛命」
風土記の[伊布夜社]である。
島根県八束郡東出雲町揖夜字宮山2229
嘉羅久利神社に合祀[からくり] 「素盞嗚尊、韓國五十猛命」
●同社坐韓國伊大
神社[・・カラクニイタテ]
島根県能義郡広瀬町広瀬364
●阿須伎神社[あすき]「阿遲須伎高日古根命 配 五十猛命、
天稚彦命、素盞嗚命、下照姫命、猿田彦命、伊邪那岐命、
天夷鳥命、稻背脛命、事代主命、天穗日命」
島根県簸川郡大社町大字遥堪1473
同社神韓国伊太
神社[・・カラクニイタテ]
出雲神社[イツモ]
●同社韓國伊大
神社[・・カラクニイタテ]
諏訪神社に合祀 同上 五十猛命の名はない。
島根県平田市別所町72
曾枳能夜神社
●同社韓國伊大
(奉)神社[・・カラクニイタテ・]
曽枳能夜神社境内の同社坐韓国伊大
奉神社「素戔嗚命 配 五十猛命」
島根県簸川郡斐川町大字神永823
●伊賀多氣神社[いがたけ]「五十猛命 配 素盞嗚尊、大己貴命」
島根県仁多郡仁多町横田1278
●能利刀神社[ノリト]
熊野大社摂社伊邪那美神社に合祀[いざなみ]「伊邪那美命 合 磐坂日子命、
埴山姫命、稚産靈命、天兒屋根命、猿田彦命、天宇受賣命、五十猛命、麓山祇命、爾保 都比賣命、山雷神、速玉之男命」
●賣布神社[めふ]「速秋津比賣神 配 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命」
島根県松江市和多見町81
●來待神社[クマチ]
來待神社[きまち]「大物主櫛甕玉命、積羽八重事代主命、五十猛命」
三社大明神。崇神天皇の頃大和から勧請。
島根県八束郡宍道町大字上来待241
●立虫神社「五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命 配 大穴牟遲命」
三柱の御祭神は木種を四方に播き植えられた後、当地に下り来たりて鎮座。
千家部落に鎮座の客神社を合祀。客神社の創立年代不詳なるも、旧鎮座地の
村名を千家村(出雲大社領)といい、この社は千家国造崇敬の社であり、
毎年11月大庭の神魂神社において、火継儀祭執行の際、千家の里に
宿泊所を設け、その折、この社に供物を捧げて祭事を執行されたと伝えられています。
島根県簸川郡斐川町大字併川字土手下258
●三澤神社[みさわ]「阿遲須枳高日子根命 配 大己貴命、素盞嗚命、
氣長足比賣命、少彦名命、五十猛命、別雷命、志那都比古命、志那都比賣命」
島根県仁多郡仁多町三沢402
五十猛関係を調べていたら「神奈備HP」に伊豆の「杉鉾別命神社」という所の由緒を見つけました。ここに残る他愛もない説話をアイヌ語で解くと、その音調が極めて文学的というのか音楽的というのか「ソノラス」なものであったように窺えます。下にリンクを張って置きましたのでご覧ください。
イタテに関する神奈備さんからのメール
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杉鉾別命神社の由緒<アイヌ文学の特徴