応神・イザサワケ名前取替
orig: 98/01/10
古事記応神前記(神功記?仲哀記?の最後)にある皇太子時代の応神と、高志前の角鹿の伊奢沙和気大神、による相互の名前交換の記述を再読していて気がついたことを挙げたいと思います。まぁ、例によって縄文語(^_^)なんですが、、、

『伊奢沙:』

イザサと読まれます。アイヌ語に i-tasa-re 交換する、と言う単語があります。 これと関連づけるには、日本語の saとta が古くは tsa に遡ると考えられることが 応用できます。ことにイザサと言う具合に「奢(ザ)」と「沙(サ)」を書き分けて いるのは、その音が相互に異なることを示唆していそうです。つまり、イザサは イタサに近い音だったのではないでしょうか。

このアイヌ語は上記のように3つの音節に分解できて、それぞれに意味素があてはまりまして、それを・交換する・させる、となります。また、最後の re は、自動詞を他動詞化する語尾であるとともに、「名前」、の意味もあります。(「3」の意味もある。)

ですから、このアイヌ単語から、「名前を交換する」、と言うモチーフはかなり自然に発生しそうです。敦賀近辺に「いたさ、いささ、いなさ」の様な地名でもあると その地名に基づいて作られた説話、となりそうなのですが未発見です。(^^;)

『明日之旦:幣:』 nisat とか nisatta と言う単語が「明朝」に対応します。「幣」は「まい」と読ませて「贈り物」の意味にしていますが、アイヌ語では(日本語との借用関係がありそうですが) nusa と言うと「祭壇」の意味になります。祭壇には勿論神への贈り物を飾ります。

ここまでで、 itasa(re), nisat (nisatta), nusa など語呂合い(?)が、とても良さそうです。(^_^)

『血浦、都奴賀、角鹿=敦賀:』 今の敦賀の地名の異説、異伝、訛、表記の差、などです。当該の説話に「入鹿魚」(いるか、海豚)が出てきます。アイヌ語では tannu。ちょっと苦しい(?)けど、「都奴賀」の「都奴」と tannu が比較できましょうか。

「血浦」とは、海豚の鼻の血が臭かったので、そう呼んだ、とありますが「血」は kem、 「臭い(くさい)」 hura-ruy (hura が、におい、ruy が甚だしい)ですから、「血のにおい」を意味する「kem hura」 の前半を意訳、後半を音写すると「血浦」が出来る。

この海豚は鼻に怪我をしていたので血が出ていたのですが、「血・傷」という二語は kem pir となり「気比」に近い音が取り出せます。

まぁ、語呂合わせ遊び、なのですが、結構多くの語要素が「遊べる」ので、ちょっと不思議に思ってるとこです。(^_^)


そういえば、応神天皇の幼名『大鞆和気命、亦名、品陀和気命』に就いて古事記は「腕に鞆のような肉が着いていたから」としています。アイヌ語で、hom には「こぶ、ふし」の意味があります(アイヌ語地名小辞典)。

こんな時代(何時なんだぁ。。。)まで縄文語の影響が残っていたのでしょうか。

一方、応神19年紀には吉野の国樔の記事があり、蛙の肉を「モミ」と言う、との異言語(?)の記録もあります。(モミは mo mim で小さい肉、かな、と思ってます。)


既にお気づきの方も居られるでしょうが、そうすると、出雲の国譲りの舞台、イタサ、イササ、イナサの浜はどういう事になるんでしょうか。 itasa-itak と言う言葉は、直訳すると「交換する・言葉」、つまり「返事、回答」のことです。タケミカヅチ達が大国主に国譲りを迫って、返事を求めた、と考えてもイタサが理解できそうですし、政治は我々(タケミカヅチ側)がやる、おまえ(大国主サイド)は幽界を司れ、という一種の「交換」協定と考えてもイタサが有効のようです。


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