古事記にイザナギ・イザナミが「風木津別之忍男命」という神を生む、というのがある。この神名は「かざもつわけのおしを」と読まれる。原文の訓註に「風は加邪と云う。木は音を用いろ。」とあるので、このように読まれるが、岩波古事記の頭注では「違例の訓註である。何かの誤りではなかろうか。」としながらも、この訓註に従って読んでいる。
先日来、この神の周辺を探索していたので、まだブレインストーミングのレベルだが、いくつか要点をあげておく。
- 「風」という字が使われているが、必ずしも「風」の神ではなさそうだ。なぜなら下文に「風神 シナツヒコ神」の誕生が書かれているからである。
- 「もつわけ」の部分に注目すると、下文に「速秋津ヒコと速秋津ヒメが河海に因って持ち別けてアハナギ神とアハナミ神を生む」「大山津見神と野椎神が山野に因って持ち別けて天之狭土神・・・を生む」と「持ち別け」という言葉がある。「木津別」を「もつわけ」と読むなら「持ち別け」とのつながりが意識される。
- この訓註が何時挿入されたものか判らないが、無視してみる。「風」は「シ」とも云うから「風木津」で「シキツ」(磯城津)が炙り出される。磯城の家系に「忍男」という人が居るか。
- 別考のように「忍」字を「照・輝」の意味合いにとると、「風木津別之忍男命」で「風」では「照・輝」とのつながりが見えない。(単に名前なのだから、つながりを求めなくてもよいのかも知れないが。)
- 上記のように風神に「シナツヒコ」がある。日本書紀では「シナトベ」という女性名も出ている。ここで「シナ」が「風」の意味か、と考えやすいが、どうやらそれは間違いで「シ」だけで「風」であり「シナ」となると「風の」という意味になるようだ。つまり、シナツヒコ、シナトベは風の津、風の戸、のようなことになる。
- 「シナ」は「シナテル」「シナサカル」などのように和語では意味が確定されていない語だが、琉球語を参照すると「太陽神」のことである。太陽神であるなら「忍男」(照る・輝く)という名前は実にふさわしいものとなる。「風」と書いて「シナ」と読む、誤読、が古事記編纂の時からあったものか???
- 先日ペギラさんと脳嵐(ブレインストーミング)していたとき、彼は、この周辺の7神は家、建物に関する神々ではないか、と着想した。これらは
家屋に関する神? | 岩波本頭注 |
大事忍男神 | 名義不詳 |
石土毘古神 | 石や土の神格化か |
石巣ヒメ神 | 石や砂の神格化か |
大戸日別神 | 名義不詳 |
天之吹男神 | 屋根を葺く男の意か |
大屋毘古神 | 家屋の神格化か |
風木津別之忍男神 | 名義不詳。記伝にはカザゲツワケと読んでいる |
家屋関係で「風」とか「木」とかいう字を見ると「千木」のことかな。「風」一字で、風の霊を表して、霊が「チ」と読まれるから、「風木」が「千木」か??と脳嵐は展開したのだが、はたして???
- 神奈備さんの延喜式神社資料から:
加世智神社[カセチ]加世智神社[かせち]
「風木津別忍男神 合 八意思兼神、豐玉姫神、大山咋神、建速須佐之男神、天津日子根神、白山比神、橘姫神、須勢理姫神、活津日子根神、積羽八重事代主神、鹽土老翁、火之迦具土神、天忍穗耳神、熊野久須毘神、天押足彦神、天水分神、白髮神、市寸嶋比賣神、多紀理毘賣神、乙加豆知神、金山毘古神、闇於加美神、多岐津姫神、天兒屋根神、豐玉彦神、品陀別神、宇加御魂神、菅原道眞、大山祇神、天之菩卑能神」三重県松阪市大平尾町67
- この神社名「カセチ」を「風霊」のように理解して「風木津別忍男神」が祭られたのだろうか。風は「加是」のように二音節目は濁られるようであり、清音で書かれている例を知らない。「カセチ」の「カセ」は「風」ではない、のではないか。
最近琉球語を調べている目からみると「セチ」が琉球語での「霊」のように見えてくる。しからば語頭の「カ」は何であろうか。「日」とも考え得る。この場合「忍」「押」のある「天忍穗耳神、天押足彦神、熊野久須毘神(異名が熊野オシホミ)」が合祀されているのが符合する。また、「井戸」もあり得てその場合には「天水分神、闇於加美神、多岐津姫神」が合祀されているのが水つながりとしてイイガカリになりそう。
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