天津彦彦火瓊瓊杵尊と
その父母の名前

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まず、天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギのミコト)、その父親、母親の名前が日本書紀、古事記、先代旧事本紀でそれぞれ如何に表記されているかを下にまとめました。

ニニギの尊の異名
【日本書紀】(数字は異書の番号)
本文天津彦彦火瓊瓊杵尊
天津彦彦火瓊瓊杵尊
天津彦 火瓊瓊杵尊
天津彦国光彦火瓊瓊杵尊
天津彦根火瓊瓊杵根尊
同上天国饒石彦火瓊瓊杵尊 別名らしい
7.1天之杵火火置瀬尊
7.2火瓊瓊杵尊
7.3天杵瀬命
天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊
【古事記】天迩岐志国迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命
【旧事本紀】天饒石国饒石天津彦々火瓊瓊杵尊(★巻3末で「弟」と明記;巻6冒頭)
【旧事本紀】天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(参考・★巻3末で「兄」と明記)
●ニニギ名称に就いて

上記のニニギの名称表記に関して考えてみました。参照:ニニギ名称リスト

  1. 根幹の共通部分は「瓊瓊杵」が多数。この部分を古事記が「迩迩藝能命」と書いているので「ニニギ」と読むのに異論が無いようである。

    書紀では、『最も貴い神を「尊」といい、それ以外を「命」と言う、どちらも「ミコト」と読む』、とあるが、この書き分け表記ルールは書紀の中だけと考えるべきだろう。

  2. 名称を「ニニギ」とはしない異伝がある。書紀第7の一書に出てくる「天之杵火火置瀬尊」である。同書の後段で「天杵瀬命」との表記は略記であろうが、「杵・瀬」は異伝の中での名前の本質核心部分なのかも知れない。

  3. ニニギに先行するPREFIXを見てみると「天津彦」で始まるものが多く、次いで「天ニギシ」の類である。何れも根幹のニニギを修飾したもので出自が天であることを意味するものであろう。

  4. 「天津彦」の類をもう少し詳しくみてみると「彦彦火」と「彦火」という具合に「彦」のダブリとそうでないものがある。第7の一書では「火火」と「火」がダブッっているのが注目される。

    天照大神からみての「孫」に相当する「ニニギ」であるので、「子」の意味である「彦」をダブラせて「孫」意味を強調したのだろうか。そういえば、「火」の読みである「ホ」とアイヌ語 PO=子 の関連も気になる所である。

    「火火」のダブリは、ニニギの子の「彦火火出見尊」にも見られるし神武天皇の異名の一つにも「神日本磐余彦火火出見尊」が伝わっている。「彦火」=「彦彦」=「火火」と理解して良いのかも知れない。そして、その意味は、「子の子」即ち「孫」か。

    参照:ニニギ名称リスト

  5. そうすると、「彦火火出見尊」の「彦火火」で「曾孫」になりそうだが、何故「ニニギ」にも「彦彦火」があるのか(紀本文と第一の一書)、が説明必要になる。彼が誰の曾孫になるか、と云えば、イザナギの曾孫ではある。

                 

  6. 第6の一書では「天津彦火瓊瓊杵尊」と「根」の字が二箇所に付いている。「あぢすきたか彦根」にも見られる名付のクセが共通していて、何やら検討に値するものがありそうで、思わせぶりなものがある。また、「杵根」の部分は、もしかすると「杵」と一字で書いてあっても「キネ」と読まねばいけない事を示唆しているかも知れない。

  7. 偽書の呼び声高いようだが「秀真伝」では「ニニギ」に相当する人物を「ニニキネ」と書いていたり、第5代の高皇産霊尊を「タマキネ」、第7代「タカキネ」、係累に「クラキネ」など「・・キネ」名があるのが面白い。

  8. 書紀が「彦彦」としている部分を、古事記では「日高日子」と表記してます。ですから、「日高」も「ヒコ」と読むのが{正統}なんでしょうが、景行27年紀に「日高見国」とあり、祝詞(六月晦大祓など)にも「大倭日高見国を安国と定め」とあり、そこでは「ヒダカ」と読ませます。

    「日高」を「ヒコ」と読むのは、いわゆる湯桶読み、つまり、音訓混在の読み方で、我々素人がやったらオコラレそうな読み方ではないでしょうか。

    古事記では「ニニギ」「山幸」「ウガヤ」の3代に亘って、名前に「日高」という漢字が入っています。


ニニギ父親の異名
【日本書紀】
本文正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊
天忍穂耳尊
 
天忍穂根尊
7.1天忍骨尊
7.2天火耳尊(天大耳尊、異本)
7.3 
 
【古事記】吾勝勝速日天忍穂耳尊
【旧事本紀】 正哉吾勝々速 天 穂別尊
【旧事本紀】 正哉吾勝々速日天押穂耳尊
●ニニギの父 参照:父親の名称リスト
  1. ニニギの父親の名称の根幹部分は「天忍穂」のようです。

  2. これに「耳」が後置されたり、「根」が付いたり、恐らくは「穂根」の部分が「骨」と表記されたりしてます。旧事本紀の表記に「正哉吾勝々速天穂別尊」と、他説では「耳」とか「根」に相当する部分が「別」になっています。「耳」、「根」そして「別」は同義とか相互に非常に近い意味なのでしょうか。

  3. 「根」の字を使っている第6の一書は「ニニギ」に関しても「根」の字を二回も使っていて、何かこだわりを感じます。

    「根」に就いては「根の国」の語義を考えたことがありますのでご参照下さい。

    参照:ニニギ名称リスト

  4. 父親名の「穂」とニニギの「火」(ホ)は、同じ意味でしょうか。即ち「子供」と言う意味で。

  5. 「ニニギ」の「ニニ」は「ミミ」に通じるとして考えて居られる方もいます。確かに父親の名前に「耳」の字が入っているので面白い考えです。

    神武天皇以降にも「手研耳」などの「耳」名が見られます。何か共通点が出てくるでしょうか。「耳」に関して考察した一文もありますのでご参照ください。耳垂の話

    しかし神武の子供達に復活する「耳」名が、「ニニギ」はともかく、「山幸・海幸」や「ウガヤ」の代に消失しているのをどう考えたら良いのでしょう。

    「ニニ(ギ)」は実は「ミミ(ギ)」だとして、「ミミ」と言う音を表す漢字は幾らでもありそうなのに(見見、箕箕、彌彌、美美など)何故、「瓊瓊」と書いたのだろう、とこの説には懐疑的にもなりますが、一方では、任那は、ニンナ、位の発音の筈なのに、ミマナ、と読むので、マ行とナ行は相通じる、って思うのも可能のようです。

  6. 書紀第7の一書には「天火耳」とあり、そのまた異本には「天大耳」とあるそうです。「天忍穂耳」も「天オシホ耳」だけが可能性のある読みでもなく、「天オホ耳」でも良さそうです。そうすると異本の「天大耳」にも納得が行きます。

    が、「肥前風土記」松浦郡の所で「土蜘蛛大耳」と言うのが居ます(他に、垂耳、も居る。)木の皮細工を献上して景行天皇に許して貰ったようですがアイヌも樺・桜皮(カリンパ)の細工が上手いのを思い出します。

    どうも、ニニギの父親と土蜘蛛の名前が同じってのも釈然としません。やはり、オシホ耳、でしょうか。


ニニギ母親の異名
【日本書紀】
本文栲幡千千姫
万幡豊秋津媛命
万幡姫
 
栲幡千千姫万幡姫命
同上 別説 火之戸幡姫の女、千千姫
7.1天万栲幡千幡姫/玉依姫命
7.2
7.3 
天万栲幡千幡姫
【古事記】 萬幡豊秋津師比売命
【旧事本紀】 萬幡豊秋津師姫栲幡千々姫命
●ニニギの母 参照:母親の名称リスト
    母親の名称は「栲幡千千姫」以下「千千」に乱れてます。

  1. まず、「幡」に対する形容詞に「栲」、「萬」、「万」、「火之戸」、「天万栲」の5種類が観察されます。これらが同じような事を意味していると仮定して、何語かで共通点が出てくるような事がないか、と模索してます。

    語呂合わせの域を出てませんが、「栲」(たく)と、アイヌ語 TAK、意味は「塊」、が{大量}という概念でつながるかなぁ、とすると「万」も{大量}ですから、「栲」と「万・萬」は同義なのかな、と思ってます。

    「火之戸」は(ほのと)か、(ほのへ)か、また、どこで切るのか(ほの・と)(ほの・へ)か(ほ之と)(ほ之へ)なのか判りませんが、例えば、(ほの・へ)だと、PORO-PE、大きい物、の意味になりますので{大量}と辛うじてつながりがありそうにも見えて来ます。
    (尚、韓国や日本ではR音がN音に変化しやすいことが知られています)

    「天万栲」は、天つ国の「天」と、「万」と「栲」の両論併記したものと思われます。

    従来、「栲」は「白」の意味として「新羅」の形容詞とされており、また、「萬・万」は大量を表す、と理解されており、上記5種類の形容詞を同義か、とした議論は見たことがありません。

    ここでは、同一人物に使われた形容詞で、かつ、「幡」に対する形容詞ですので、「万」や「火之戸」と共通の意味があるのではないか、と模索してます。

  2. 書紀第7の一書では、母親の世代が他説とは一代下っていて、天万栲幡千幡姫の女(むすめ)である玉依姫がニニギの母親であるとしてます。 玉依姫、というと、ニニギの孫であるウガヤ、の叔母で、且つウガヤと結婚した女性と同名です。 果たして、伝承の混乱なのか、単に同名異人か、隠れている真実が顔を覗かせているのか面白いところです。

  3. 第7の一書の別段では、丹姫(にくつひめ)を母親、としてます。これもユニークな異伝で興味ありますが、とりつくシマがなく、困ってます。今の所では、にくつ、はアイヌ語試訳では「木の帯」となり、「栲」はコウゾと云う木の古名ですから、「幡」と「帯」のつながりが付けば(まぁ、似たようなモンだ、とも思いますが)、「にくつ」、と、「たくはた」、とがくっつかないかなぁ、(同義にならないかなぁ)と思っている段階です。(北海道のカリンパ遺跡で発掘された赤い帯のような木皮製品、ニクツ?)

    参照:母親の名称リスト

  4. 第6の一書でも世代が一つ下っていて、火之戸幡姫の女、千千姫が母親、としています。

  5. それでも比較的共通性のある根幹部分を抽出してみますと「千千姫」と「秋津(師)」に大別出来そうです。PREFIXの方は、表記が違っていてもなんとなく同義らしい気もしますが、根幹部分ではどうでしょうか。アイヌ語で「秋」の事を chuk と云います。「秋津」で、chuk-tsu、これが「千千」、chi-chi、とつながるのでしょうか。

    同一人物なら基本的に同じ名前が、伝承や漢字表記のステップで変化してきたので、今では異なって見える、と思ってみたのですが、この前提が間違いなのだろうか???

●ニニギの「ギ」

「ニニギ」の「ギ」の方に、いささか想いを馳せて見ました。

まず、ニニギの父親の名前である、「忍穂耳」の「耳」の読みですが、一般に「ミミ」と読まれて疑いが無いようです。

試みに、古韓国サイドでの「耳」の訓を調べておりました所、「韓国古地名の謎」光岡雅彦著、学生社、に、「クイ」「クヰ」「キ」が挙がっていました。これらの訓の根拠は古地図、三国史記などに出てくる地名のようです。また、「日本縦断アイヌ語地名散歩」大友幸男著、三一書房にも『古朝鮮語の「オサ・ギィ」は「長い・耳」で「兎」を呼びました。「ギ」に「耳」や「聞く」などの意味がふくまれていたことがうかがわれます。』とあります。出典は示されてませんが、何か根拠があるのでしょう。

前置きが長くなりましたが、要するに「耳」は「ミミ」とも読むし「ギ」とも読んで良い、と仮定しますと、「忍穂耳」を「オ(シ)ホ・キ/ギ」と読めることになります。そうすると、親、オシホギ、から子のニニギへ「ギ」が伝わっているように見えます。

「オシホ・ギ」の親は天照大神。ここに「ギ」の音は見いだされませんが、天照大神の親は「イザナ・ギ」です。イザナギの親は、一説では「アハナ・ギ」です。(書紀「神生み」の段第2の一書)古事記では、アハナギ、ツラナギがイザナギの子、となってます。

一方、ニニギの子孫の名前を紀記に当たってみますと、「ギ」とか「耳」の付く人は、神武の子供である「手研耳、岐須美美、神沼河耳、神八井耳」まで飛びます。即ち、ニニギの子と されてる「彦火火出見」、「ウガヤ」、「神武」の3代に「ギ」が見つかりません。

そこで、神代の系図で「ギ」音、または「耳」が親子に相承されているものと、「ギ」音や「耳」が入っていない名前を世代順に並べてみますと:

[ギ・耳]あり[ギ・耳]なし
アハナギ.
イザナギ.
(タカギの神?)天照大神
天忍穂耳.
ニニギ.
.海幸・山幸
.ウガヤフキアエズ
.神武天皇
手研耳ほか.
息石耳.

となります。

「ギ」音の有無で二系統が分離出来そうです。どれほどの力がある仮説か判りませんが、紀記が色々な系図を寄せ集めた、と考える場合の参考になりますでしょうか。


●「ニニギ」の「ニキ」が魏志倭人伝に出てくる「爾支」ではなかろうか、との話をして下さった同好の士が居られましたが、「伊都國官曰爾支」即ち「官」、役人?、でありニニギとは格が違うように思われます。


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