布忍(ヌノセ)神社に就いて・1 |
orig: 99/05/07
布忍入姫の母である書紀の「両道入姫皇女」は、名前の上では古事記の「布多遅能伊理毘売」亦名「石衝毘売」に相当するのであろう。「石衝毘売」にはその兄「石衝別」がある。古事記では布忍入姫は出てこない。
お気づきのように「布」字を「フタヂの入姫」のように「フ」とも読ませたり「ヌノ」とか「ヌ」と読んだ方が語感が良さそうな場合があります。「布忍」も「ぬのおし」に固定は出来かねるように思われます。なんせ、周辺には「フタヂ」があります。フタヂ、フナヂ、フナシ、フノシ、フノオシあたりの揺れにも注意しておく必要がありそうな気がします。
あまりに都合が良い(?)ので要注意ですが、布忍入姫の祖母(祖父?)にあたる「山代大国の不遅」(「淵」とも)ですが、アイヌ語の huchi 老女、姥、(尊敬を以って呼ぶ)があります。(以前から富士山の語源が huchi ではないかと言われていたり、それを妄言と断定したりされたり、していますが私は捨て切れません。)
「入」に就いても崇神(ミマキいりヒコ)、垂仁(いくめイリひこ)の名前にも入っていることに注目されています。私はアイヌ語の ir (身内、親類) irwak (兄弟)辺りにヒントを求めても良さそうに思ってます。(イリもワケもつながりそう。。。)
古事記に出ている出雲系譜をご覧頂くと、「13.布忍富鳥鳴海神」という神の名前があり「布忍」という語が観察できます。類似品としては同系譜に「8.国忍富神」(7.鳥鳴海の子)もあり語構成としては(更に血縁関係も?)関連付けて考えられるかと思ってます。古事記の系譜では世代が開いて居ますが実は9.10.11.(12.?)は違う系譜が挿入されて居るのかも知れません。
なお、ここの「富」は出雲に「富神社」があり、「富」という名前の家系があり、また、確か「ミナカタ富」神社ってのも長野県にあったように記憶しており(今、調べてみたのですが見つからないのではありますが)「富」トミ、で独立した語として考えて良さそうです。
「国」と「布」がなんらかの形での対立、類似の意味を持つのではないか、とまでは考えるのですがその先がどうにも進めません。例えば「国」はクニ(country)の意味で良いとして「布」が「天」とか「空」とか或は国を陸と考えて布が海に相当しそうとか、なんか、そういうことが言える言語がないものか、と思っています。その点を少し掘り下げてみます。
それは、「忍」の字の読みに関してなのですが、万葉集では「忍」の字は「オシ」か「シノ(ぶ)」の2通りに読まれます。では、それを応用して「忍」を「シノ」と読んでみますとどうなるでしょうか。
布忍=ヌノ・シノ とか ヌノ・シヌ なんて辺りでしょうか。(「ノ」と「ヌ」の区別は可成曖昧で通用していることがある。)
こうなると、またまた、出雲系譜ですが、スサノヲの子である1.「八島士奴美神」は日本書紀(第一の一書)では次の3つの異名が伝えられています。即ち、古事記の表記ともあわせてリストしますと
さて、どこから攻めましょうか、、、(^_^)
「石衝別」というと神武紀に出てくる「磐排別(記では石押分)」を思い出します。磐排別は吉野の先住民の如くであり吉野国棲の祖、とあります。名づけが似ていることから、こちらも先住民(ウン?、縄文人?)か、、、
出雲系譜との関連:
「忍」を「シノ」と読むと:
八島士奴美神 | 古事記 |
清湯山主三名狭漏彦八嶋篠 | 日本書紀 |
清湯山主三名狭漏彦八嶋野 | 日本書紀 |
清繋名坂軽彦 八嶋手命 | 日本書紀 |
日本書紀の一番めの最後に「篠」(しぬ)があります。明らかに古事記の「士奴(美)」と共通ですし、日本書紀の他伝では「野」とか「手」に変貌しているようです。「野」は「しぬ」の「ぬ」だけが伝わってものでしょうか。「手」は「しゅ」と解読すべきで「しぬ」が「しゅ」に変貌したものでしょうか。。。想像です。。。いずれにせよ「篠、野、手」の部分が古事記バージョンの「士奴(美)」に対応しているといえます。
さて、いずれも「しぬ」(またはその変形)の前には「八嶋」が付いています。 そうすると、
「シヌ」に先立つ「八嶋」の部分が別人では「国」になっているのは、「八嶋」も「国」も国土の表現として共通しており整合性が良さそうです。そうすると、やはり、「布」も国土に関した言葉なんでしょうか。そうだとすると「布」は「ヌ」とか「ノ」で「野」のことであろうか、ということを視野に入れてみるのも好いかもしれません。
ここに出雲風土記(意宇郡)の国引き説話の冒頭を引用しますと
「出雲国者 狭布之稚国在哉」(出雲の国は 狭い布の若国であるかな。)即ち、狭い布、というのが(若)国の修飾語になっています。(余談:神武天皇の幼名に「狭野命」ってのもある!)
「布」ってのが「野」のことかもね、という根拠になり得そうです。
如何でしょう、布忍、は「ヌシヌ」が原形で、「国主」「野主」辺りの意味合いだったなんてのは?
あと、布忍神社の祭神は八重事代主之尊、速須佐男之尊、武甕槌雄之尊、というのも出雲関連の神様ばかりで面白いですね。出雲系譜の九代十代の「甕」字の頻発にも惹かれるものがあります。
12.美呂浪神 =青沼馬沼押比賣 ←敷山主神
の「青沼馬沼押比売」だって、「アヌマ・ヌオシ・ひめ」とも読めそうで、その子が
13.布忍富鳥鳴海神 「ヌオシ・とみ・とりなるみ」なんかな、とか。。。
となっており、武甕槌雄之尊が布忍富鳥鳴海神の4〜5代前の母方の先祖にもなる訳で布忍神社の祭神としては至極当然、ということになりましょうか。
結論、と書いてみましたが何も断定出来るわけではありませんが、現代「ヌノセ神社」と発音されている「布忍神社」の「布忍」には上記のように幾つかの起源が考えられそうです、という所で留めておきます。
4.淤美豆神 = 布帝耳神 ←布怒豆怒神 なんて名前がありますねぇ。。。