「あらはばき」を考える |
麁脛バキ、荒覇吐、荒吐、荒羽、阿良波々岐、荒脛巾、荒掃除、新波々木、阿羅波婆枳、荒羽々気、阿羅波比 |
陸奥、出羽、常陸、武蔵(多数)、房総、相模、甲斐、越後(2)、参河(1)、伊豆(1)、伊勢(3)、丹波(1)、摂津(1)、伯耆(1)、出雲(多数)、隠岐(9)、安芸(6)、備後(1)、周防(6)、長門(1)、伊予(多数)、土佐(2)、肥前(1)、壱岐(1) |
実はこれらの数字には「客人」という表記の神社も加えてある。特に西国に多い。それは、既に柳田国男がアラハバキ考で示したように、アラハバキは旅をして回る神という性格があるからである。もっとも直接的には、出雲国島根郡爾佐神社境外社「荒神社」はマロトさんと呼ばれていた、という証言がある。マロトとは、まろうど、客人のことである。
マロト、マロード、に就いては
萱野茂のアイヌ語辞典では marapto (宴、饗宴、祝宴、熊の頭) | 中川裕の辞典では maratto(酒宴;送り儀礼で家の中に運び込まれたクマなどの頭;その耳と耳の間(*下注)に魂が座っていると考えられており、賓客として扱われる) | 知里高央のアイヌ語絵入り辞典では marapto をズバリ「お客」としている。 |
マロードが日本語からアイヌ語への借用なのか、逆にアイヌ語から日本語が借用したのか、はたまた縄文語に由来して日本語にもアイヌ語にも平行的に入った語彙かは俄かには判らないがいずれにしても相互関係の深さだけは明確である。
そうなるとアラハバキもアイヌ語で解がないであろうか。arpa-pake と解すると、これは、行く(発つ・出発する)・首領(頭)、ほどの意味になる。果たして出発して旅をしたものが熊の頭だったか部族の首領だったかはともかく旅してくるものをマロードとして祭ってきたわけだ。
一方、paki となるとこれは「エビ」の意味である。エビ、つまり、蝦夷、に転意するのに造作も無い。アラハバキが「蝦夷」の語源を教えてくれてはいまいか。