HLAの人類学0
orig: 2005/07/21

HLA、第6番染色体上にある遺伝子群。これの分類で人類学的な系統を推定しようとする分野がある。提示されていることの理解を深めてみようと思う。
主たる参考文献は:
(1) 『モンゴロイドの地球』(1995)所収の「HLA遺伝子群から見た日本人のなりたち」徳永勝士。
(2) 『日本列島の人類学的多様性』SCEIENCE OF HUMANITY VOL. 42(2003)所収の 『HLAと人類の移動』徳永勝士
 である。

上記のように同じ方(徳永さん)が1995と2003に発表された資料であり、連続性のあることであろうから、データを対比してみることから始めよう。
#HLA型↓19952003備考
124-52-150210.0%8.6%おしなべて比率低下
233-44-1302 6.3 4.8
324- 7-0101 5.3 4.0
424-54-0405 3.7 3.1
5 2-46-0803 3.6 記載無し旧5位
611-62-0406 1.9 記載無し旧6位
726-61-0901 1.2 記載無し旧7位
82-35-1501記載無し 0.4 新6位
924-59-0405記載無し 0.8 新5位
この表を観察して行くと次のようなことが判る
●頻度最大の型の頻度は10.0%から8.6%へ下がっている。
●上位6つの型の頻度合計も30.8%から21.7%に下がっている。
●引き算した残余の型の頻度合計は約70%から約80%に増大している。
●1995に5位であった型は2003では表示されていない。
●2003に5位となった型は1995では7位までに入っていない。
これはとりもなおさず、1995の発表(450家族以上)以降にデータが増えたことに伴う頻度の変化であろう。
上位の頻度がおしなべて低下している、ということは、 つまりデータが増えれば日本人の多様性は益々増大すると見通せよう。
さて、このデータはどれほどのサンプル数に基づくものであろうか。
1995のデータに関しては「450家族以上」という表現がある。2003のデータにはサンプル数が記されていないが、当然「450家族以上」以上であろう。

ここで注意しておきたいのは、同じ家族の人たちは同じ型を保有している可能性が、他の家族の人たちよりも高い、と考えられることだ。(HLAはメンデル式の遺伝{父母から半分ずつ}をする。)つまり、450家族以上、と言われてもサンプル数が1000とかそれを越える、と考えるのはサンプルがランダムであるべきことに照らして適切ではないだろう。

サンプルのランダム性を知りたい訳だが、いずれの資料にも、どのようにサンプルを選んだのか、書かれていない。むしろ、脊髄病の患者、その家族、そのドナー候補、脊髄病が疑われる人たち、に偏っているのではないか、と思われる。つまり、例えば支持政党のアンケートとかのように、ランダム抽出したサンプルのデータなら統計処理に耐えるだろうが、病気に関連して病院に来た人のサンプル、ということであればランダム性は甚だ低いものと見るべきであろう。
上に「多様性」と言った。2003のデータに基づけば6位までの合計が21.7%、つまり、7位以下が78.3%を占める。7位以下の各型の頻度は6位の頻度以上ではない、として良かろうから、約80%を6位の頻度である0.4%で割ってみると、200となる。すなわち、7位以下に少なくとも200の型がある、ということである。450(以上)家族が200以上の型を持つ、ということである。
これは「少なくとも」200以上の型、があることを意味しよう。更に、順位が下がるにつれて頻度も少しずつにせよ減って行くのであろうから、450家族が400以上の型に分類されてもおかしくない。
つまり多様性が非常に高いということであり、こういう人たちをひとまとめにして、さて、彼らの起源はどこの一群であろうか、と考えるのは、、、果たして意味のあることだろうか。
また、百歩譲って上記のデータがランダムサンプルによるものとして、最大の頻度が8.6%というのを、どう読むか。日本人の一割未満の人の出自が日本人全体としての起源なのか。
HLA遺伝子のはたらきには「1.自己・非自己の識別、2.抗原提示-免疫応答の制御、3.組織適合性-移植の可否、4.疾患感受性・抵抗性」がある、という。ということは、最大頻度の型の保有者の太古の先祖は、実は日本列島で圧倒的多数であった、しかし、ある種の病気に「感受性」が高く、数千年を経て、1割を切ってしまった・・・のか。あるいは逆に、実は、大昔にはほんの一握りしか居なかったのだが、多くの病気への「抵抗性」が高くて、どんどん繁殖して今日に至ったのか。最近のデータから、過去をどう読むのか、読めるのか、私には判らない。
MtDNAのところでも触れたが、HLAの場合も、よしんば、日本人のある型が北満にもそれなりの頻度であった、として、その日本人の祖先とその北満人の祖先が同一で(多分、そうだろう)、北満に居たのか。居た場所までは判るまい。その共通の祖先が出アフリカしたばかりなのか、チベットあたりで分岐してきたのか、本当に北満で分岐したのか・・・
というわけで、日本人の「起源」から、私は距離を置いている

人類学・大目次
「起源」雑考:起源論から距離を置く
系統樹の表現方法と意図
日本語とアイヌ語の縄文語、渡来語、弥生語との関連模式図
アイヌ語と縄文語の関係(人類学の知見)
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