縄文語?のお遊び |
面白いので少し遊んでみました。つまり、この縄文語を想像・創造した人たち(つまり崎山さん達)が、何をベースに考え出したのだろうか、の解読です。
・北からきたコトバ: | |
山 ダマ damban | ははぁ、確かにモンゴル語の daba=山を越す、などから*daban=山、との再構推定形があるようですね。他にも dorben=よる(夜)から モンゴルの d が日本語の y に対応するらしいとは、よく読みます。なお、現代モンゴル語は uul |
谷 ダトウ detu | 上記から行くと日本語の「ヤチ、谷地、ヤツ」辺りを意識しての案かな、と思いました。現代モンゴル語は 川=gol |
雪 ジュキ juki | 現モンゴル語は chas らしい。アイヌ語は upas。根拠不明。 |
・南からきたコトバ: | |
天 アマ kama | 村山さんはオーストロネシア語の推定形を *langit としてる。kama の根拠不明。アイヌ語では、nis とか kanto. |
海 ワタ wasa | 確かに日本語は古くは、t/ts/s が混乱しているので wasa なら「ワタ」になるが。。。 日韓祖語推定再構形 *pata を使わなかったのは何故だろう。。。マレー語なら laut、 アイヌ語なら atuy |
雲 グル guru | ウーム、アイヌ語 kur(人・影・nis-kurで雲)もこれかぁ。 |
原典(新聞に出ていた通り) |
解釈(小生が語と語の対応を想定したもの) |
所見(小生のコメント) |
原典: ア・バ ナァ・ガ キタカタ(私はキタカタと言います) |
解釈: 私 の 名 は(です) |
所見: 一人称単数を「ア」とするのは「吾、あ」からもアイヌ語からも首肯出来る。バが所有を表す助辞ということらしい。人称代名詞は変化せず助辞で表したと言うのは、日本語とも共通する。オーストロネシアではどうなんだろう。
ナァ(名)はオーストロネシア再構推定形 *agan (<タガログ語の ngalan など)が 根拠だろう。村山さんは、アイヌ語の re(名) も同系と考えて居られる。 |
原典:アヌ、ナ・バ ワタ・ドゥ ムドゥ・リ?(いつ、あなたは海から戻りますか) |
解釈:何時 貴方は 海 から もどる か? |
所見:アヌ が何時、に対応するのだろう。アイヌ語 nehi の n音が対応するとでも? ne はアイヌ語では nep(何物)、ne あの、この、〜になる、などかなり重要な語素である。 マレー語 apa-bila の apa 何、辺りとの関連だろうか。 バが前例では所有の助辞に見えたが、ここでは主格かぁ。 ムドゥ=戻る、、、何か根拠があるんだろうが判らない。 |
原典:クパシ・キ トゥマ・ニ マ・ミ・イェ・ブ・ル トゥクィ (美しい 相手 と 出会うとき) |
解釈:妙し き body に まみえる??? とき??? |
所見:クパシは、日本古語、妙し(くはし)から作ったのだろうか。キは活用語尾? トゥマは「妻」の語源か? アイヌ語の tumam (胴・体、幹、壁;性交する)辺りともつながりそう。 マレー語では、tuma は、シラミ(噛まれると痒いヤツ)
マ・ミ・イェ・ブ・ル。これは難しい。まみえる、と近すぎる。。。 |
原典:ア・バ ムドゥ・ラ・ム(私は戻るでしょう) |
解釈:私・は 戻る でしょう |
所見:むどぅらむ、戻らむ、なんて奈良・平安頃の新しい(^_^)語感がしますね。。。アイヌ語 ramu=思う、考える、(これの語源は ram 心、だろう)も参照。 |
なお、新聞に出ている範囲では、「ト to」がなく全て「トゥ tu、ドゥ du」と なっており、これは、後代(奈良朝)の乙類を想定しているように窺えて面白い。 なお、甲類のトはなかった、との大野説を採用しているようにも見えます。 参考:倭トトビモモソ姫
引用:「崎山教授の学説によれば、縄文人のコトバは北方と南方から伝わった言語が
混合して形づくられ・・・・」
お遊び、ですが、結構、マジに調べ回りました。。。(^_^)
「縄文語、を考える」もご覧下さい。