三國史記高句麗地名各論
巻三五・#81 緑=伐、伐力、伊伐、伊火の問題点
orig: 2004/06/30
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板橋#2では「緑」を意味する高句麗語として
「伐 bor」「伐力 puruk」「伊伐 ibor」「伊火 ipur」
と4つの語形を挙げている。
これらの依って来たる所は次であろう、と思われる。
#新羅版地名*本高句麗巻37記事
81 緑驍縣 *伐力川縣 緑=伐(力)(板橋#2):そうなら驍=川か?
92 豊縣 *伊伐支縣 =伊伐支(板橋#9) [111伊伐支縣(一云自伐支)]
126 縁(一作椽)武縣 *伊火兮縣  
  • 「伐 bor」「伐力 puruk」:
    思考としてはまず上表の#81から「緑=伐、または伐力」を対応させてみたのだろう。

    然からば、この時に残る「驍」と「川」が対応するのか、ということが問題になるが、板橋論文ではこの点については触れられていないようである。

    「驍」の音は「ギョウ、キョウ」に近いものである。この音が「川」を意味する事例には行き当たっていない。されば、訓読みが「メ」あたりで「川、水」を意味するのかもしれないとは思うが、これは想像の域を出ない。実は「馬」なら「川」の意味になっているようなのだ。難しい字を使ったが実は訓は「馬」と同じく「メ、ミ」あたりなのか。

    なお、「7 黄驍縣はもと高句麗の骨乃斤縣」というデータもあるが、ここからも驍=川を取り出すことはできそうもない。

  • 「伊伐 ibor」:
    次の#92を見てみると板橋論文ではこのデータから「#9 伊伐支 iboc- 、(隣)」を抽出している。

    同時に、このデータから「伊伐 ibor=緑」を引き出しているようである。勿論「伊伐支」が「隣」を意味し、「伊伐」でとどまれば「緑」を意味することがないとは言えないが、釈然としないものが残る。

  • 「伊火 ipur」:
    #126に関して私の見ている六興出版の金思Y 訳『三国史記』では上記のように「縁(一作椽)武縣」となっていて「緑」とは関係がない。この「一作」という校異記事は糸偏か木偏か二説ある、という意味であり、いずれにしても、旁は「緑」の旁とは違っている。恐らく『三国史記』の写本も何通りかの流れがあって、異本があるのであろう。

    仮に「縁(椽、緑?)」が「伊火」に対応するとして、「武」と「兮」の対応は認められるのだろうか。

「緑」の高句麗語が抽出できた、ということに上のような疑いが残る。

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