久須婆・考 |
『古事記』(崇神天皇、建ハニヤス王の反逆の段)に『久須婆(クスバ)の度(わたり:渡、のこと)』という地名が出てくる。今の淀川流域の「楠葉」のことであろうと考えられている。
「クスバ」はアイヌ語のkusa(単数)/kuspa(複数)(= 〜を船で川を渡す)が源だろう、と見当は付けている。この推定は「音」と「意味」が合致している、という肯定点を与えることができる。 しかしながら、kusa とか kuspa というだけの地名は現実のアイヌ語地名として見つけていない。また、この語だけでは「誰が(主語)何を(目的語)」船で渡す、のかが判らず、アイヌ語地名として不完全のように見える、という問題点がある。 参考までに現実のアイヌ語地名で kus (通る){kusa/kuspaとは別の語}を使ったものに chi-kus-nay がある。順番に「我ら・通る・川」の意味で、今、尽内、と書かれ、つくしない、と呼ばれる。このように、アイヌ地名は、しばしば、文章になっている。kuspa だけでは地名として不自然なのだ。 古事記の伝承では、残兵が(恐怖のあまり)クソをして袴(はかま)に掛かってしまったので、その地を「クソバカマ」と言ったのが、今(古事記編纂の頃?)「クスバ」になったのだ、とある。 この地名起源説話自体は信ずるに足りないが、「クソバカマ」という音列にヒントを得て、 (chi)-kus-pan-kama と作ってみると「(我ら)・通る・川下の・平岩」ほどの意味になりそうだ。しかし、語法としてこういう文がありうるのか研究する必要がある。
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