ORIG: 97/05/31
REV1: 97/07/30 FORMAT,FONTS&WORDING
REV2: 98/06/19 refinements
REV4: 2003/4/14 時代認識改定
変なタイトルで済みません。(^^;) 肥前風土記、景行紀、魏志倭人伝 などに出てくる「耳」「ミミ」のつく名前を挙げて何らかの関連(いいがかり?)でもつくものか試してみました。また、末尾に「ミミ」の付く名前のリストを掲げておきます。
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魏志倭人伝 | 南至投馬国、水行20日、官曰彌彌、副曰彌彌那利(ミミナリ) |
景行12年紀 | 唯有残賊者 一曰鼻垂・・・二曰耳垂 |
肥前風土記 | 第一嶋名小近 土蜘蛛 大耳居之 第二嶋大近 土蜘蛛 垂耳居之 |
魏志倭人伝と景行紀を比べてみると、ミミナリ対ミミタリ、が似た音である。ミミ「ナ」リとミミ「タ」リで音が一つ違うが、良く云われる「タ・ナ・ラ」相通、と云ってしまっても良いのかも知れない。また、字典には「那」の中古音にカッコ付きながら (nda) があるとしている(学研、漢和大字典)。 「魏志倭人伝と肥前風土記」を比べてみると、「彌彌那利と垂耳」(ミミナリ対タリミミ)に語順は逆だが、かなりハッキリした対応が見られ、そうしてみると、「彌彌と大耳」も前者には「大」が付いてないもののハッキリと対応していて、したがって、「彌彌と大耳」と「彌彌那利と垂耳」は「ボス・副官」のペアとしてみても良く対応している。 即ち、 |
魏志倭人伝 | 彌彌+彌彌那利 | に対して |
景行紀 | これの鼻垂は一見ハズレのようだが、耳垂からの類推した綽名とも受け取れる | |
肥前風土記 | がペアで対応しそう。 |
投馬国の位置が不明だが、「小近は小値賀島、大近は、中通島+以南か」、と岩波本頭注にある。平戸島に「水垂」、福江島に「三井楽(旧:美弥良久)」「玉の浦<投馬?」
があり、関心を持っている。。。 耳垂の居た「御木川上」とは今の「山国川」上流のことであろう、とされている。 (岩波頭注による) これは大分県であり、投馬国内であるかは判らない。 或は日向市に「美美津」、「耳川」があるが、「美美津」に関しては、雄略21年紀に「久麻那利」と云う地名が出てくる。これは「熊津」のことと理解されていて、「津」と「ナリ」は同義である。「美美津」は昔「ミミナリ」と呼ばれていた可能性がある。 上記をまとめるに、魏志倭人伝に伝えられる投馬国の官(彌彌那利)は、景行紀や肥前風土記の述べる耳垂達のことである、とは結論出来ないが
なお、古事記(崇神記)に出てくる「玖賀耳之御笠」に関して、丹後風土記・残欠に「陸耳」として、やや詳しく出てますのでご参照下さい。 |
彌彌 | 魏志倭人伝 | 投馬国の(長)官 |
彌彌那利 | 魏志倭人伝 | 投馬国の副(官) |
天忍穂耳 | 日本書紀 | 天照大神とスサノヲのウケヒで生まれる長男。ニニギの父 |
瓊瓊杵尊 | 日本書紀 | 参考、瓊瓊=ニニ=ミミ? |
宮主簀狭之八箇耳 | 神代紀上 | 稲田姫の親、母らしい |
三島溝瀘耳 | 神武紀 | 瀘は「くひ」 |
神沼河耳 | 古事記 | 綏靖天皇 |
神八井耳 | 古事記 | 綏靖天皇の兄 |
手研耳 | 日本書紀 | 綏靖天皇の腹違いの兄 |
岐須美美 | 神武記 | 手研耳=多藝志美美の弟 |
息石耳 | 日本書紀 | 安寧天皇の兄 |
大日本根子彦太瓊 | 日本書紀 | 孝霊天皇、参考、ニニギの瓊を一字もつ |
大日日 | 日本書紀 | 開化天皇、参考、ビビ=ミミ? |
若狭之耳別之祖 | 開化記 | 開化天皇の子、室毘古王のこと |
布帝耳 | 古事記 | 出雲系図第4代 |
鳥耳 | 古事記 | 出雲系図第6代。鳥耳の子、鳥鳴海、も類語? |
陶津耳 | 崇神紀 | 太田田根子の祖母 |
太耳 | 垂仁紀 | 3年と88年、但馬諸助の母の親 |
前津耳 | 垂仁紀 | 88年、但馬諸助の母の親 |
鼻垂 | 景行紀 | 耳ではなく鼻だが参考まで。殺される。 |
耳垂 | 景行紀 | 殺される。参考:景行紀の蝦夷 |
御午友耳建日子 | 景行記 | 吉備臣等之祖 |
大耳 | 肥前風土記 | 松浦郡小近嶋。赦免される。参照:景行紀の鼻垂 |
垂耳 | 肥前風土記 | 松浦郡大近嶋。赦免される。参照:景行紀の耳垂 |
大身 | 肥前風土記 | 松浦郡大家嶋。殺される。参考まで |
豊耳 | 神功紀 | 紀直の祖 |
前津見 | 応神記 | 但馬諸助の母 |
玖賀耳之御笠 | 崇神記 | 丹後風土記・残欠にやや詳しい、陸耳とも |
百舌鳥耳原 | 仁徳紀 | 67年 |
耳成山 | 允恭紀 | 42年11月 |
耳皇子 | 継体紀 | 継体*倭姫の子 |
豊聡耳 | 推古紀 | 聖徳太子 |