モシレチク・コタネチク

orig: 2001/05/05


アイヌの伝承に「モシレチク・コタネチク」という名前の魔神が出てくる。ロングバージョンは「モシレチク・コタネチク、モシロアシタ・コタネアシタ」という。何の意味だか、すでに忘れられているそうだ。止むを得ず短い方の名前を「村滴々、国滴々」と訳出して「村、たらたら、国、たらたら」と読んでいる。(金田一京介全集十一アイヌ文学Vp341)など。chik=滴る、(雫が)落ちる、だからだ。

金田一京介全集十一アイヌ文学Vp337-には、「アイヌラックル(が)悪魔から神を救い出す話」として、新冠のトメキチが伝承していた「魔人の手から日の女神を救い出す話」が載っている。

粗筋は、魔神、モシレチク・コタネチク、に囚われた日神をアイヌラックルが救出するという天照大神の天の岩戸隠れに似た話である。この魔神は「巌の鎧を被った様は、小山が手をはやし、脚を生やしたに異ならず。トドの皮の縄を以て、櫂ほどの太刀を腰に縛りつけ、片方の目は紫蘇の実の粒ほどに小さく、片方の目は満月の如くにむき出した大怪物である」という。(続きはこちら)

この話の終りに金田一の解説がある。すなわち

コタネチクチク・モシレチクチク(村滴滴国滴滴)(むら、たらたら、くに、たらたら)の名は何の謂れであるか、今まで如何なる古老に問ってもはっきり答えるものがない。しかしアイヌラックルとこの魔人との戦いはオイナ(古伝)の中でも特にポロオイナ(大伝)と云って著名なものであるが、秘曲であってめったに謡わないから、その伝えも早く失われてしまったのである。そはともあれ、この物語りはアイヌラックルが魔人の手から女神を救う説話の最も典型的な物語で、多く類型の説話の中には、あるいはこれから影響を受けて出来たものもあるかのように思われる。

コタネチクチク・モシレチクチクの名の出て来るオイナは、ほかにも紫雲古津のタウクノにも聞いた事がある。しかし筋は全然別な説話である。結婚の話、異伝3、日影媛説話参照。(ここでは省く)

この説話というか名前を紹介したのは、一般的にアイヌ説話を紹介しようと言う事、日の神が魔神に囚われるという天照大神の岩戸隠れに通じそうな事の紹介、そして、この名前をもう少し考えてみたいからである。似たような名前で全く違う神格が与えられている話を次に紹介する。こちらから。 知里真志保は「分類アイヌ語辞典・植物編」p73に、こう記している。

oar sikihi片方の眼は
ento-num neミソハギの種子の様に小さくて
chirawekattaぐっと落ちくぼみ
oar shikihi片方の眼は
sikari-chup ne満月の様に大きくて
chisoyekattaむき出しになっている
ar-kamiasi恐ろしいばけもの
(金田一京介、アイヌ聖典、P.141)

続き:救出された日の神に関して、アイヌラックルは「雲の小船を手早く作り、船のみよしに手早く雲の倭人の童を造り、艪のわきに手早く雲のアイヌの童を造り、雲の小楫をリウと後ろへそりをうたせ、船の中央には雲の小帆を取り付け、帆の中央に日の神をくっつけて、蒼空めがけて投げたのである。ここに於いて世界が再び照りかがやいた。」これって、景行天皇紀の神夏磯姫の話、思い出しませんか。

国焼郷焼大椀棚荒胸元鍋抱
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