地震を「なゐ」と云うことについて |
orig: 2012/03/18
rev1: 2012/03/29 方丈記追加
地震のことを古語に「なゐ」ということは良く知られている。しかし「なゐ」のみでは「地震」の意味ではなく「地、大地、地盤」に過ぎない、という説がある。すなわち:
岩波『日本書紀』の推古七年に:「地動りて:なゐふりて」と仮名を振り、その注釈として、「ナは土地、ヰは居。ナヰで地盤のこと。」とあります。これはこの本の校注者4人の内の誰かの注釈なのでありましょう(多分、大野晋さん)。
しからば根拠は何なのか、自分で古典を探索してみます。
もう一つ関係する資料があります。
類聚名義抄(AD1100頃)に 地震 なゐ とあるのが傍証・補強である。 これを根拠として
さて、上記歌謡にあるように「なゐ」というものは「よりこ」するらしい。これはなんだ。 「よりこ{ば}」を「揺れ(振れ)来{れば}」と解釈している。 それに基づいて(?)
それとも「なゐふる」という直接的な用例があるのだろうか。寡聞にして知らない。 大体、「よりこば」(よりくれば)の「より」が「揺れ」の転だとするならここの「よ」は甲類でなければならないが、実は乙類が使われているので「揺れ」の転とするには「疑いが持たれる」むしろ「寄る」に関係あるのではないか(時代別国語大辞典上代編「よる」の項)と論じられている。 つまり「なゐ」が「地震」のことなのか「大地」の意味に過ぎないのか説得力のある解に達していないのではないか、と思っています。 資料不足、考え違いなどあるかもしれません、ご指摘下さい。 「くもゐ(雲居)」という語がある。「くも」が「居る、居座る(ところ)」。「なゐ」の語構造がこれである可能性はあろう。「な(大地)が居座っているところ」すなわち「地盤」と説くか。 古事記では大穴牟遅神がスサノヲの処から逃げ出すときに琴が樹に振れて「地動鳴」と書かれている。岩波本では「つち(地)とよみ(動)鳴りき」と読ませている。 方丈記: また元暦二年(西暦1185)のころ、おほなゐふること(1)侍りき。そのさまよのつねならず。山くづれて川を埋み、海かたぶきて陸をひたせり。土さけて水わきあがり、いはほわれて谷にまろび入り、なぎさこぐふねは浪にたゞよひ、道ゆく駒は足のたちどをまどはせり。いはむや都のほとりには、在々所々堂舍廟塔、一つとして全からず。或はくづれ、或はたふれた(ぬイ)る間、塵灰立ちあがりて盛なる煙のごとし。地のふるひ家のやぶるゝ音、いかづちにことならず。家の中に居れば忽にうちひしげなむとす。はしり出づればまた地われさく。羽なければ空へもあがるべからず。龍ならねば雲にのぼらむこと難し。 おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震(2)なりけるとぞ覺え侍りし。その中に、あるものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、ついぢのおほひの下に小家をつくり、はかなげなるあとなしごとをして遊び侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二つの目など一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲もをしまずかなしみあひて侍りしこそあはれにかなしく見はべりしか。 子のかなしみにはたけきものも恥を忘れけりと覺えて、いとほしくことわりかなとぞ見はべりし。かくおびたゞしくふる(3)ことはしばしにて止みにしかども、そのなごりしばしば絶えず。よのつねにおどろくほどの地震、二三十度ふらぬ日はなし(4)。十日廿日過ぎにしかば、やうやうまどほになりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かたそのなごり、三月ばかりや侍りけむ。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地(5)に至りては殊なる變をなさず。むかし齊衡のころかとよ、おほなゐふりて(6)、東大寺の佛のみぐし落ちなどして、いみじきことゞも侍りけれど、猶このたびにはしかずとぞ。すなはち人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。』
(1)(6): 「なゐふる」という表現があるにはある;但し西暦1185 |