忍・考
orig: 2001/04/04
古代の地名、人名に使われる「忍」字であるが、オシ、と読まれ、「多し」と理解されてきている。(岩波古典文学大系「古事記・祝詞」p56頭注5など)。

結論としては「多し」に近いものになるが、原義は「次次に」という意味合いではなかったかと考えられる。アイヌ語の u-os u-os が次々に、という意味である(萱野辞書)。これの更なる原義は u=互いに os=後から であるので、複数のもの(こと)が後から後から発生することのようである。

こう考えられる背景には、古事記のイザナギ・イザナミの二神による国生み神話に於いて、隠岐の三つ子嶋の異名を「天之忍許呂別」と書いている事がある。(あめのおしころわけ、と読む)。この異名の「忍許呂」の部分を岩波頭注では「多くの島々が凝り固まっている所」であろうか、としている。

上記アイヌ語によって解けば「次々に・産む」ということになり三つ子誕生に因んだ異名であることが歴然としている。

ここから他にも出てくる「忍」字を「次々に」と解く事が妥当そうな例を探してみる。

1.

ニニギのみことの父、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、の場合を考えてみると、この尊は天照大神とスサノヲのウケヒに依って生まれた5(6)人兄弟の長兄であり、「忍穂」が「多産の・子」の意味合いになりそうである。(po=子) 但し、u os はアイヌ語では副詞的に使われるようであり、縄文語に応用するにあたり、形容詞的に使って良いかどうかは決定できない。しかしながら長期に亘る口伝えの伝承が漢字を使って記録された結果だけしか見えていない我々としては、安易に断定すべきでも安易に否定すべきでもなかろう。

2.

欠史8代の后妃に「姪忍鹿比賣」がある。第6代孝安天皇妃である。この妃の名前に諸説あるがここでは姪忍鹿比賣という伝承に就いて考える。即ち、この妃の名前を u os sika と解けば、次々に・生まれる (sika=siko=生まれる)という意味が取れる。果たしてこの姫に兄弟姉妹が多数居たか、となるが、「姪」であるというヒントを得て、考安天皇(帶日子國忍人命)の兄、天押帯日子命に就いて見てみると16の家系が祖先であると伝えている(古事記)。即ち、考安天皇の甥・姪は多数だったらしいことは窺える。

3.

国生み段に戻るが、知訶島の異名に「天之忍男」がある。岩波頭注は「多し男で、多くの島々からなっているので、この別名がつけられたと思われる」としている。確かにそうでもあろうが、原義は上記の o us kor 次々と・産む、であって、最後の kor が kurと転じて(誤解?)「男」という和語に翻訳されたものであろう。

他にも「忍」字の付く名前があるが、今はリストだけしておいて、更に調べてみる事にしたい。

神代記:大事忍男、風木津別之忍男神、天忍日命
出雲系図:国忍富神、布忍富鳥鳴海神
神武記:到忍坂大室之時。
開化記:忍海部造、稻羽忍海部、
成務記:建忍山垂根之女
仲哀記:忍熊王
応神記:忍坂大中比賣
以降:市邊之忍齒王、忍海郎女、坐葛城忍海之高木角刺宮也、忍坂日子人太子。亦名麻呂古王。


「忍」に関して、全く異なったアプローチ(琉球語の参照)から「照る・輝く」と理解することができ、その展開が興味深いものがあることを提示してある。「布忍神社」をご参照

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