「たちばな」「からたち」から「たち」が抽出できる。「たち」の花が「たちばな」で、「唐」から来た「たち」が「からたち」であろう。また、上代には用例がないが「すだち」もこれに列するものであろう。 すなわち、ある樹木が「たち」と呼ばれていたものと推定する。 そうすると、垂仁天皇が「田道間守」(たぢまもり)を常世の国に遣わして「時じくの香の木の実」(ときじくのかくのこのみ)すなわち当時「橘」と呼ばれる霊薬を持ち帰らせたという話も、「たち守り」という言葉と密接に関連していることが伺える。従来、「田道間」(「多遅摩」とも書く)を「たちばな」と読むような解もあったが、「田道(多遅)」だけで「たち」という樹、「間守(摩毛理)」を「守り(原義は:目守り)」と解くのが良さそうである。 さて、「たち」を抽出してみたところで、記紀に現れる開闢神「天之常立(とこたち)」「国之常立」「国之狭立(さだち)」などの「立」も「橘」であろうか、と考えてみる。常緑樹である「橘」は「とこしへ(永遠)」のシンボルに成りうる。「常立」(とこたち)は、永遠の橘、であろう。「狭」は「早苗」「小百合」などの「さ」であり、美称・尊称の接頭辞である。従って「狭立」も「(尊い)橘」ほどの意味合いになる。
ここで「ひたち(常陸)」の「たち」も橘であろうか、と思いつく。そこへ神奈備さんからご指摘を頂いた。すなわち:「常陸国風土記」に「常陸は古人云常世之国か」とあり、更に 「ひたち」とは「日・橘」であろうか。
一方、イザナギが禊ぎをした場所は:「筑紫の日向の小戸の橘」とも「橘の小戸」とも書かれている(書紀) 「天之狭霧」という名の神もある。「霧」と書いてあるが「桐」と考えると「立」を「橘」と考えることとの整合性が良いようだが、だからどうしたという展開が見えていない。 神奈備さんの「橘について」:資料多数集積あり |