都紀女加命について

orig: 99/04/24
rev : 2005/02/26

国造本紀に出てくる「都紀女加命」に就いて調べたことを書いておきます。補充・訂正などお知らせ頂けると有り難いです。
{読者の方からお知らせを頂いたので二点修正。また、いくつか表現を直した。(2005/02/26)}

「ツキメカ」或は「トキメカ」と読むのでしょう、この人は、国造本紀では次のように記載されています。参照:国造本紀・#126

私の整理番号では#126
国名は筑志米多国
就任は第13代天皇成務の時
この人の出自は「息長公同祖稚沼毛二俣命孫」
そしてこの人の名前が「都紀女加命」
この国の所在地は「肥前三根米多」(この項は編著者、大野七三の註)

所在地に就いて:
所在地を地図で確認した所、現在の佐賀県三養基郡上峰町坊所に「都紀女加王墓」という記載が見つかった。
この周囲の地名に「三田川町、前牟田、六田川、豆田」など m-t- で括れるものが「女加」或は国名の「米多(メタ)」に近い音の地名として散見される。{三田川、は明治22年4月町村自治制施行によりつけられた合成地名、よって削除。(2005/02/26)}

また、中津隈、下津毛、という t-k- で括れるものが「都紀」との関連で注目される。

{いずれにしても、現代地名からの考察は、現代地名がどれほど歴史のあるものであるのか、検証なしには有効な議論にはならない。

出自に就いて:
上記のように国造本紀ではこの人を「息長公同祖稚沼毛二俣命孫」としている。「稚沼毛二俣命」という名前は実は、応神天皇の皇子に「稚野毛二派皇子(母は河派仲彦の娘である弟媛)」という人があり(日本書紀)、或は「若沼毛二俣王(母は咋俣長日子王の娘である息長眞若中比売)」(古事記)とも漢字を宛てられている人がある。
名前が同じだから同一人物とするのも短兵急かもしれないが、これほど同じ音で、且つ、息長氏との関連もあるのなら、同一人物と見てみたい。 さて、そうすると、応神天皇は第15代天皇であり、その皇子の孫、となると世代としては18代に相当する。「成務天皇(第13代)の時に任命された」という国造本紀の話とは、5世代の開きがある。
国造本紀の記事がアヤシイのか、応神皇子の記事がアヤシイのか、はたまた応神と崇神の間に混乱があるのか、、、二俣命とは同名異人なのか、、、


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