檍原の禊とツツ男の誕生

orig: 98/07/25
rev1: 2000/04/21
rev2: 2007/02/28 ren


古事記にイザナギが黄泉の国から「筑紫日向之橘小門之阿波岐原」に行き、禊(みそぎ)をした、という説話が出ています。(岩波日本古典大系本ではP68です。)(日本書紀でも第6の一書に同じ話が採録されていて、書紀では「檍原」と書かれています。)

さて、この阿波岐原(アハギ・ハラ)でイザナギは数々の神様を生み出します。

「水の底に滌ぐ(すすぐ)時に底津綿津見神と「底筒之男命」、中に滌ぐ時に中津綿津見神と「中筒之男命」、水の上に滌ぐ時に上津綿津見神と「上筒之男命」が生まれます。

ここで「アハキ原」と「筒男」に就いて、縄文語とつながるのではないか、と小生が考えているアイヌ語を紹介しておきたいと思います。

日本語では意味が判らない「アハキ」ですが、アイヌ語に ohak浅い、 ohak-i 浅い・処という言葉があります。知里真志保の「アイヌ語地名小辞典」では、aahak 浅くアル、aahaki 浅瀬、が採録されています。即ち、アハキ、とは「浅瀬」のことではないか、というのが一つ。

「筒男」達が生まれるのはイザナギが滌ぐ(すすぐ)ことに因っていますが、アイヌ語では泳ぐこと、水浴することを sus と言います。この語に関して、村山七郎さんはオーストロネシア語のオセアニア語と関係のある語でニューギニア西方のパウロヒ語の susuu、中央カロリン語の tutu (tuutu)、などが採集されている。これらから、祖形は *tutuku と考えられている。

つまり、すすぐ、ことにより生まれた者が、つつ男、と呼ばれるのが、如何にもありそうに思えるわけです。

また、古事記と日本書紀(第6の一書)では、ここでスサノヲも誕生したことになっています。 sus-an-男 で「水浴・生まれる」男、の意味になることからの連想が働いている説話でありそうだ。(なお、「男」というアイヌ語には okkay, okkayopo, okkaypo, po などがある。)

なお、「筒男」を日本語で解こうとして、「ゆふつつ=夕星」から「ツツ」=「星」、「筒男三兄弟」をオリオン座、と持って行く考えもあるようですが、「ツツ」=「星」という独立した事例がなく(ゆふつつ=夕星、しかない)否定的見解が強いようです。

日本語の「すすぐ」とアイヌ語の sus は共通の祖語 *tutuku に遡れるのか、という興味ある視点であります。


追記:2007/02/28:アイヌ語で「三人」と「沈む」をともに ren と云います。(方言辞典)上記のように、「水の底にすすぐ」のは「水に沈む」わけで、その結果が「上中底」の三神に構成されていることとが、アイヌ語に寄れば符合する。
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