「浮穴地名」 |
orig:2008/10/06
ある方から愛媛県の地名「浮穴郡」の「浮穴」の意味についてお問い合わせを頂いた。
まず、先達の見解を伺ってみると、吉田東伍の『大日本地名辞書』には次のように書かれている。
・河内国云々は次によるものだ
▲『続日本後紀』巻三承和元年(八三四)五月・・・伊豫國人正六位上浮穴直千繼。大初位下同姓眞徳等賜姓春江宿祢。千繼之先。大久米命也。 だが、「移受牟受比」の部分について諸本では異同がある。例えば「移愛牟受比」「移受々受比」「移受牟愛比」などがある。「移受牟受比」を採って「やすむすび」即ち「安産霊」という理解もあるようだが定まっていない。(安産祈願につながるのか・・・) いずれにしても「不明」なのだが、『大日本地名辞書』は「移愛受比古」と「古」字が入れて書いている。「古」が入っている資料が何なのか見つけていない。 『大日本地名辞書』もフリガナに「ウキアナ」と「ウケナ」の二つを示している。また、和名抄(931年〜938年)に「宇城安奈」(うきあな)とある。しかし奈良朝時代の日本古語では、二重母音が嫌われていたので「浮穴、浮孔」は「うきあな」とは読まれていなかっただろう。「うきな」とか「うけな」あたりに音が省略・融合していたであろう。つまり、『大日本地名辞書』が「方俗 宇気奈と唱う」というのが、古音を遺しているかのごとくである。 次に、私の習い性となっている「アイヌ語で考える」ということをしてみる。 「浮く」は sipusu (supusuとも)、「穴」は suy とか puy。だから「浮き穴」ならば supusu-puy あたりが宛てられ得る。スプスプイ、という面白い音の列になる。これが原点であって、和語に翻訳されたものが「浮き穴」なのではないか、と考えてみる。なお、知里真志保は、アイヌ語にはこのようなsonorous({英語}音の豊かな)な音列があることが特徴である、とする。 ここで、唐突かも知れないが、大国主が野火に攻められたときに、鼠が「内は富良富良(ほらほら)、外は須夫須夫(すぶすぶ)」というので、そこを踏んで(出来た穴に)落ちて隠れて難を逃れた、という古事記の話が思い起こされる。この謎めいた言葉について、以前より「富良富良」は「ほら(洞)」であり(アイヌ語でもporu);「須夫須夫」はアイヌ語 supuya 「煙」が宛てられそうだ、と考えている。つまり「内は洞・洞、外は煙・煙」という意味だと思う。 これらを参考にすると、「浮き穴」の原点であったろう「スプスプイ」も更にもとをたどれば「煙、穴」あたりのアイヌ語(スプヤ・プイ あたり)であっただろうか、との考えが出てくる。 さすれば、浮穴地方にこのような大国主とかヤマトタケルのような、野火攻め伝承がないものか;煙が出るような穴(温泉?火山?)はないか;洞窟(鍾乳洞の出入口では冷気が煙状に吹き出す)はどうか、と追いかけてみる。 実に初めに書いたように、愛媛の浮穴には羅漢窟という鍾乳洞があり、これが「浮穴」の語源だ、というローカル説がある。吉田東伍さんの『大日本地名辞書』はそれを否定しているが、このローカル説は再検討されるに値しよう。 肥前の浮穴 肥前国風土記にも「浮穴」が出てくる。彼杵郡・浮穴郷 例によってツチグモ征伐した、って話。次に抄出しておく。
なお、浮穴を現在の有喜町に比定する説がある。しかし、肥前国風土記では「郡北」にあるということと、有喜町は高来郡に属するとして、吉田東伍さんも否定的。その吉田さんが浮穴は「長崎より西南、野母肥御崎までかけてをいう名なるべし」とするのも「郡北」に全く合わず不審だ。 七釜鍾乳洞に関連づければ十分に「郡北」を満たす解となる。 以上、愛媛と肥前(長崎)の浮穴二カ所は鍾乳洞と関連づけができそうだ。 近畿の浮穴
一方、同音の(多分同語の)地名が記紀にもある(近畿のハナシだが) (岩波の日本古典文学大系本では「うきあな」とふりがなを付しているが、上記の次第で、ここで二重母音を厭わず使うのは疑問がある。) ここで「片塩の浮穴」ということから「片塩〜片足羽」と「浮穴」の関係を探ってみたが面白そうなことはなかった。強いて記録しておけば、「塩」sipo(アイヌ語日本古語共通)が上記の supusu-puy と同様に SとPで構成される、という点。堅塩、と理解すれば岩塩のことか、とも思ったが、日本には岩塩が出ない、という記事もあったりして、展開が図れなかった。大辞林によると、堅塩は「精製していない固まっている塩。粗製の塩。(対語は「淡塩」)」。また、神社での神事で使う塩にも堅塩があるそうだ。 Wikipediaより:御塩殿神社
堅塩、と書くと蘇我堅塩媛 (そが の きたしひめ、欽明天皇妃)を思い出すが、「片塩」を「きたし」と読んでみても論考は進まなかった。 なお、「片」に関しては、神武天皇の名前「神日本磐余彦尊」の「磐余」という地はもとの名を「片居」また「片立」という、とある(神武紀)。「片塩」の「片」もこれらと共通の要素であり、どちらかが解ければ他方も同様に解けるのかもしれない。(他の「片」:参考:片岡馬坂上、國片比賣命) さて、この「浮穴宮」の所在地は判然としていない。
「うく」穿く、穴があく。ウカツ(穿つ)の自動詞 漢字「浮」に導かれて(惑わされて?)「浮く」で考えていると間違うかもしれない。大体、穴が浮く、というのも意味をなさない。「穿く」かもしれない? 穿く・穴か。 上記の近畿の浮穴比定地三カ所のなかで最後の大阪府柏原市には、史跡高井田横穴公園があり「総数200基以上と推定される大規模な横穴群(古代の墓)が保存公開されている公園。様々な線刻壁画が描かれた横穴もあり、貴重な文化財となっている。」という。 史跡高井田横穴公園より。 橿原市にだって岩船横穴墓群がある。大和高田市にだって横穴が無いわけではない。しかし、これら近畿の浮穴候補地三カ所とも「煙」とのつながりが見いだせていない。 ところが、アイヌ語で「(穴が)あく、(穴を)あける」はopus, opusi という。「穿つ・穴」なら「オプシプイ」あたりが作られる。「浮く・穴」ならば上に見たように「スプスプイ」とか「シプスプイ」あたり。「穿つ(穿く)」と「浮く」アイヌ語でも似たような音になるし、日本語でも同じ音になるのは面白い。
このように見ると次の可能性が考えられる: 検討している三カ所の「浮穴」地名のうち二カ所には「煙」の要素も見ることが可能であったが一カ所(近畿)では見つかっていない。「穿く・穴」ならば三カ所ともに説明がつきそうであり、より穏やかな解であろう。 という結論ならば、この件に関しては、何もアイヌ語を援用してみることもなかったが、考察の経緯として書いておくことにした。 |