タイトル | : 「富士」の語源、意味 |
記事No | : 2120 |
投稿日 | : 2014/04/01(Tue) 09:53 |
投稿者 | : 大三元 |
「ふじ(富士)」について
富士山の「ふじ」、その語源はアイヌ語であり「火の神」意味である、という“話”がある。その“話”は恐らく、アイヌの神様の一つであるアペ・フチ・カムイape-huchi-kamuy (火・姥・神)から来たものかと思われる。これに含まれる huchi を「ふじ」に通じると解したのだろう。しかし、huchiの意味は「姥」でありそれを「火」を取り違えたのであろうか。この“話”のもう一つの問題は huchi (ふち)という音を「ふじ」に通じさせていることだ。「ち」と「じ(し)」は明らかに異なった音であり、同じに取り扱うにはしかるべき論理ステップを踏まねばならない。今では「じ」と「ぢ」は共に「じ」になっているが古くは分別されていたし、「し」と「ち」の通用は認められない。
即ち、「ふじ」はアイヌ語で「火の神」の意味である、というのは間違いである。
ここで「富士山」という名称は日本一高い「The富士山」以外にも少なくとも10を数える山の名称でもあることも指摘しておく。殆ど関東周辺(長野、茨城、群馬、栃木、埼玉、千葉、神奈川)だが広島県三次(ここでは「富士山」と書いて「とみし山」と読むようだが)岐阜、にもある。なお「○○富士」という山名は沢山あるがそれらはThe富士山に因んだ二次的な命名であろうから、ここの考察からは除外する。
さて「ふじ」という語を和語の範疇で考えるなら「ふし:節」か、古語に「ふし:柴」がある。山名の「ふし」は「節」の意味には取りにくい。お爺さんが柴刈りに行くという意味合いの柴山であろうか。(後述)
私もアイヌ語に語源を求めてみる、という作業に賛同するものではある。現在、二つの可能性について検討している。ひとつは「ふっぷし」、もうひとつは「田子」である。
●ふっぷし:北海道千歳市に「風不死(ふっぷし)岳」1102mがある(「風不止」とも宛てる)。また阿寒湖の西には「フップシ岳」1225mがある。これらの山名はアイヌ語で hup-us-i その意味は トドマツ・ある・ところ と解されている。
トドマツは北海道にはあるが本州には分布していないとされており、The富士山の原義には合わないように見える。しかし hupは唯一トドマツに限定されるのでもなく、知里真志保著「アイヌ語分類辞典 植物編」には「その他、ハイマツでも(§413)、ゴヨォマツでも(§412)、やはり hup と云われたのである。」とも書いている。The富士山にはカラマツならあるが、果たして hup とも呼ばれうるか。
そもそもトドマツの事を hup と呼ぶについて「トドマツを北海道のアイヌわ、Hup(腫物)とゆうが、これわ樹皮に脂の瘤が多く生じているからであ(る)」(「アイヌ語分類辞典 植物編」)とする。
翻ってThe富士山の山麓を見てみると鑵子山、黒塚、はじめ多くの側火山が如何にも瘤のように分布している。「富士山は側火山の数が際だって多く、その数は70以上といわれています」 http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/sbosai/fuji/wakaru/013.html
「こぶのあるもの」 hup-us-i が「ふし、ふじ」と転じたものだろうか。 「ふぷし」が「ふじ」になる、と考えてみるにあたり一つの問題は音節が一つ減っていることである。単に「縮約」と断じる前に「常陸国風土記」(筑波郡)に富士山と考えられる山岳名を「福慈」と書いていることを考えてみる。そこでは「福」を「ふ」の一音に解している(現在この山名を「ふじ」とするので、それに引っ張られているのかも知れない)。一方、万葉集(106)では「福路」を「ふくろ(袋)」と読み、即ち「福」を「ふく」の二音節に読んでいる。つまり、常陸風土記の「福慈」は「ふくじ」である可能性もあることになる。
Hup-us-i→ふぷし→ふくじ→ふじ という変化が考えられる。この変化仮説の中で「ふぷし→ふくじ」、中でも「ぷ→く」、があり得るのかと気になる。それに就いては「ふなと」と「くなと」という同一の性格を持つ神の名があることが参照できる。つまり「ふ」と「く」が通じている(混乱かも)例はある(参照:http://dai3gen.net/gishi04c.htm。
なお万葉集ではこの山名を一貫して「布士」「布自」「不盡」などと書き「ふじ」としている。従って上の解では「ふくじ(福慈)」が万葉以前の語形であり、万葉時代には「ふじ」となった、と考えることになる。
●田子 アイヌ語に tapkop タプコプと云う語があり、知里真志保著「アイヌ語地名小辞典」では「1.離れてぽつんと立っている円山; 孤山; 孤峰。2.尾根の先にたんこぶのように高まっている所」と説いている。The富士山はまさに1.の定義に適っている。
もちろん、The富士山をタプコプと云った証拠は皆無なのだが、ご存知のように「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける(万葉集:山部赤人)」があり、この海岸を田子の浦と呼ぶのはタプコプが見えることに因んでいるのかとも思うのである。そしてそのタプコプとは近在の里山のことかも知れないがThe富士山かもしれぬ、と。
「田子、たご、たこ、たっこ」地名がアイヌ語tapkop(タプコプ)に由来していると考えられる例を示す。 青森県 田子(たっこ-まち) 岩手県 達谷(たっこく) 立根(たっこん) 秋田県 田子内(たごない) 辰子潟(たつこがた、田沢湖) 達子森(たっこもり) 宮城県 達居森(たっこもり) 福島県 竜子山 北海道: 達古武沼 (釧路町) 達布山 (三笠市)他数例
●メモ: ・可能性は低いとは思うが、いわゆる高句麗語地名では次が参照される。 79松紛縣本高句麗夫斯波衣縣[91夫斯波衣縣(一云仇史紛)] 118松山縣本高句麗夫斯達縣
つまり「夫斯(ふし)=松」である。
・「富士」名の由来について都良香(みやこのよしか)(834−879)はその著「富士山記」で「(富士)山を富士と名付くるは、郡の名に取れるなり」と書いている。つまり、郡の名前が先にあって、それに因んで山名になったという。山名に因んで郡の名にしたのではない、と。疑わしいが、仮にそうだとしても、しからばその郡の名の意味は何か、どうしてそのように名付けられたのかとの問題は相変わらず残る。
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