ヤマトタケルの子 神郷亀塚古墳・雑感 |
2000/02/01 に滋賀県能登川町神郷の「神郷亀塚古墳」(全長35.5mメートル)が「前方後方墳」であることが判明し、「狗奴国王」の墓か、と言われはじめている。更なる考古的な発見を待つとして、この機会にヤマトタケルの子女に就いて整理しておこうと思った。 何故、この古墳、その主、とヤマトタケルが絡んでくるのかは、まだ直感に過ぎない。念のため。 |
ヤマトタケル | |||
布多遅伊理毘賣命←伊玖米天皇の女 | 帯中津日子命 | 後の仲哀天皇 | |
弟橘比賣命 | 若建王 | ||
布多遅比賣←近淡海 安国造祖 意富多牟和気の女 | 稲依別王 | 犬上君、建部君等之祖 | |
大吉備建比賣←吉備臣建日子の妹 | 建貝児王 | ||
山代玖玖麻毛理比賣 | 足鏡別王 | この母子、書紀には見えない/岩波頭注 | |
ある妻 | 息長田別王 |
古事記は更に上記の次世代に就いても記録するが、ここでは触れない。 即ち、ヤマトタケルは近淡海、吉備、山代、と婚姻関係を持っていた。子の稲依別王を祖とする犬上君は近江国犬上郡を領していたのだろう。また、建部はあちこちにもあろうが、八日市市にもある。(大津市には建部大社がある) [重要(多分)]上記の足鏡王に関して、岩波古典文学大系の「古事記・祝詞」p224では「書紀にはこの妃とこの御子はみえない」としている。書紀を読んでみると、確かに出てこない。しかし、仲哀天皇紀に行くと「蘆髪蒲見別王」というのが出てくる。越の国から4羽の白鳥(チャイコフスキーか、(^_^))を仲哀天皇に献上しようというのを、この王が宇治川のほとりで簒奪した。それで仲哀天皇はこの王を誅した、とある。そして、この王は「(仲哀)天皇の異母弟である」としている。 即ち、古事記の「足鏡別王」とは「蘆髪蒲見別王」のことであろう、と推定するのに逡巡はない。つまり「アシカガミ」と「アシカミガマミ」なら同じ語の異伝と考えて良かろう。 つまり、この近江東岸にヤマトタケル・仲哀に不満を持つ勢力(姻戚)があったことが覗える。即ち、伊吹山の白猪(書紀では大蛇)がヤマトタケルを襲うし、仲哀の子で後に反乱を起こすオシクマ・カゴサカは「淡海の柴野入杵」の子孫である。 人名、地名などを考える時に漢字に惑わされてはいけないが、この場合、野洲・竜王の境に「鏡山」があったり、「蒲生」地名があったりして、引き付けられる。 そして、魏志倭人伝の「狗奴国」をこの周辺に求めるに関しては、野洲町の「久野部」、上記表にある「山代の玖玖麻毛理」に含まれそうな「クマ」の音、などが端緒になるであろうか。 |