奄美に関わる資料のコレクション
アマミンチュ・シネリキヨ

アマミンチュの変形語形
orig: 2000/11/25
rev1: 2001/02/20 三宅神社追記
rev2: 2004/03/03 あまみ2リンク

アマ、の一つのヒントとして「奄美」大島などの「アマ(ミ)」を少しずつ調べている。メモに過ぎないが集積しておく。  
Amamicuu-Siniricuuあまみきよ・しねりきよ:琉球列島の創造神琉球語辞典・半田一郎・大学書林。各種変形語形
Amamija-Siniriya上記神の故国琉球語辞典上記
天御中主神アマのミナカのヌシと読むが、「アマミ中主」、更には「アマミチュウ」ではないのか

(2014/12/28追記)参考:「美久我社」(出雲国風土記)、「彌久賀神社」(延喜式)主祭神は「天之御中主大神」

記紀
sinrit根、先祖アイヌ語辞典各種:sinrit-iw と造れば琉球の Siniricuu に酷似する
-iw〜人アイヌ語辞典各種
-cu〜人(これからAmamicuuとは、アマミ人、と考えられる)上記琉球語辞典
芦花部アシケブ名瀬市内にある地名:ウマシアシカビのヒコヂを連想
可美葦牙彦舅尊ウマシアシカビのヒコヂ神代紀。「可美」は「神(加微など)」とは音が違う。
宇摩志阿斯訶備比古遅神ウマシアシカビのヒコヂ神代記。「訶備」の備はビ乙でありビミ相通させれば「神」になりうる。
kamiasiおばけ、魔物田村すず子アイヌ語辞典kameasiとも:萱野はkamiyasi:知里はkamuy-oyasi
阿麻美許曽神社大阪府に(少なくとも)4社詳細下記
波牟許曽神社東大阪市長瀬町。「こそ」が付くので参考に 
比賣許曽神社東成区東小坂。「こそ」が付くので参考に肥前風土記:
奄美大島の一部、群島の一部では、日本語「カ、ケ、コ」の子音に対して概略的に/h/が現れるヒミホ補論参照服部四郎「日本語の系統」岩波p282
三宅神社「大彦命」 孝元天皇皇子大彦命の男宮波多武日子命が新羅国の王子天日桙命の姫宮天美明命を婚り、越の国を賜ってこの地に来り、神名倉山に三つの殿を造られた。新潟県長岡市妙見町215番地他には見ない、独特な伝承のようだ。
甘美鏡崇神紀出雲人の祭る甘美鏡
可美真手ウマシマデニギハヤヒの子
可怜小汀ウマシヲバマ山幸の到着した海神宮のある浜の名

上表でも一部触れたが追いかけたいことは


布忍神社さまからお寄せいただいた「阿麻美許曽神社」関係の情報:

阿麻美許曽神社矢田村大字枯木の東南天見丘な在り、延喜式内の旧社にして素盞雄命を祀り、俗に天岸の宮と称し、今は郷社たり、創建以来の沿革は社記の紛失によりて今知るに由なく、又名称の由来も詳ならず、姓氏録に天津彦根命・男天戸間見命見ゆれども、此の祭神と関係あるを見ず、又神名考證は此の社の下に註して「按中臣祖小橋命子、阿摩毘命」といひ、毘の美と転ずるは普通にして、阿麻美は即阿摩毘、許曽は尊親の意を表すものなれば、昔時はあるいは阿摩毘命を祀りしか、但いまだ確証を得ず。(等々)大阪府誌。
阿麻美許曽神社延喜式出南枯木村の南の方天見丘にあり土人云祭神中牛頭天王東は春日西は蛭子此の近隣7ヶ村の本居神なりむかし此地に行基大士住給ふとてその旧跡あり。(河内名所図会)
阿麻美許曽神社丹北郡 在南枯木村南天見丘、一名阿麻岐志、今稱天王(河内志)
郷社 阿麻美許曽神社中河内郡矢田村大字枯木字福井「大阪府神社大資料」昭和8年3月31日発行 編集兼発行人 大阪府

松原市による「天美許曽神社」(渡来系との説)


アマミンチュの変形語形
アマミの起源は海部???
根の国・シニリチュ
琉球語が教える日本古語

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