南房総の地名
九十九里・考へ
千葉の語源

orig: 97/01/30
rev1: 97/07/17 format
rev2: 97/09/18 font
rev3: 2003/06/05 伊豫大明神写真追加


先日、家族旅行で南房総へ二泊三日で遊びに行って来ました。この地域のアイヌ語起源ではないかと思われる地名に就いて以前 ニフティの同好の志と話していたこともあり気に掛けていた場所でした。

  • 神社がとても粗末で残念だったこと
  • 土地の方でも近隣の地名の読み方をご存じないこと、
などが印象的でした。
玉前神社:祭神 玉依姫:
神主さんのお話では、この祭神は付会に過ぎないであろう また、「玉前」とは近くの大東崎のことを「玉のように美しい岬」 とした名前で「前玉、埼玉」などとは全く無関係であろう、とのことでした。 今回、巡った神社の中で唯一、人の居た、神社でした。(;_;)(長生郡一宮町)

天御中主神社:
地図では夷隅郡大原町にある筈のこの神社は、何回もウロウロしたが 結局発見出来なかった。その代わり(?)万喜(マンギ)城跡の展望台 から「国見」をして来ました。。。

長生郡長南町:
「山内」と云う集落があり「サンナイ」の可能性を調べたいと思ってました。 現地を走ってみたら山内の隣に「三川」と云う集落があり、アレ?っと思いました。 丁度、通りかかった耆老(?)に伺った処、山内はヤマウチ、三川はミカワ、と呼ぶそうです。 しかし、これら集落を流れる川が山から流れ出してくるサマ、とか、 昔は竹の葉が詰まって増水した、などとの話しから、サンナイの特徴も見られ、 諦めきれないものがありました。

夷隅郡大多喜町:
宇筒原、ウトウバラ、と呼んでいます。富津市の宇藤原も同じなんでしょう。 東北に多い善知鳥(ウトウ、と云う名前の鳥、冬期には本州にも南下するらしい、 アイヌ語で「突起」の意味、以上広辞苑)と同じかと思われました。
  
アイヌ語辞典を幾つか調べたが「ウトウ」に「突起」の意味がある、とは確認出来ていない、というか、「ウトウ」というアイヌ語が見あたらない。「突き出す」ならば etok/utok という語はある。これのことか?2007/11/10追記

但しこの地区に「筒原分校」と云う学校があり、もう少し調べる必要がある。

上記の西6kmに「筒森」と云う集落があり「筒森神社」もあるので立ち寄りましたが 神社名を記した札の類もなく、ましてや、祭神も判りませんでした。 「ツツ」が日本古語で「星」を意味するので近隣の「星井畑」との関連を知りたかったのですが、 この神社に「星」の痕跡が無いかと思ったのですが不発でした。

夷隅町:
国吉神社を訪れてみたら隣に「出雲大社」「日御崎神社」があり、 出雲大社の屋根には、丸に「大」の字の熊野大社の印、もあり興味深かったです。 手持ちの地図には無かったので思いがけぬ収穫(?)でした。

天照神社(大原町)
も寂れて朽ちかかっていました。 ぬかるみで危うく車輪がはまり込む処でした。ギッタンバッコンして抜け出せたのは神のご加護か、 なんちゃって。。。
帰路として、安房郡富山町の伊予大明神を探しました。房総が阿波の国からの移住者が多かったとは聞いていましたが、伊予の方の移住の痕跡かとも思った訳です。奇妙な形の伊予ケ岳の麓に、やっと見つけたこの神社も朽ちる寸前の状態でした。文字資料なし。ただ、面白いと思ったのは、注連縄が垂れ下がるスタイルで、アイヌのイナウを想起させるものだったのが印象的でした。写真

ま、遠足の感想文みたいになっちまいましたが、話題の展開でも出来れば。。。。m(_ _)m


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付録:
木更津に就いて
orig: 96/11/27
rev1: 97/07/17 format
rev2: 97/09/18 font

地名の話をしていたら、ある方から、
千葉県に木更津(きさらづ)という東京湾に面した市があります。 小櫃川(おびつ)の河口には、今でもに正に「葦が生い茂る原」が現存しています。 おそらく「ki-sar= 茅(葦)原」が由来なのでしょう。

とのコメントを頂きました。以下、私の発信です。

そうですね、アタリ、だと思ってます。更に言えば、木更津の津は、to=湖・沼、だったかも知れませんね。(津、ツ、が to かも知れないに関しては、出雲国嶋根郡の雲津が風土記時代には「久毛等」と表記されていたことを参照。)

また、小櫃川、も pon pit nay 辺りかも知れませんね。 pit:大小岩石の総称、ですから「石川の小さい方」({小さな石}の川、ではなく、小さな{石川})となる筈です。周囲に、小櫃川よりも大きい川ありませんか? 養老川とか小糸川が、古くは「大櫃川」と呼ばれていた、なんてことになると確度が上がるんでしょうが。。。

由来を知れば親しみも湧き、地名を大事にしなければならないと思うようになってきますね。
本当ですね。あちこちで役人達が勝手に地名を消去したり創造したりしているのは、文化財の廃滅だ、と一人で憤慨して居ります。。。。(--メ)

是非とも地の利を生かされて周囲の地名の歴史などお調べになりお知らせいただける と嬉しいです。今後ともよろしく。


木更津、再考
ORIG: 96/11/30
REV1: 97/07/17 format

「木更津」に就いてもう少し考えてみました。

先ず短いコメントで済みそうな「小櫃川」から。前回、pon pit nay か、と解いてみましたが、o pit nay 川尻に・石(のある)・川、も有り得ますね。これなら、大櫃川を探す必要は無い。。。

さて木更津ですが、秋田県の「象潟」(きさがた)、日本書紀の斉明天皇4年(AD 658)に出てくる、「都岐沙羅」(つきさら)という柵(対・蝦夷防御の砦)の置かれた地名、も参照してみたいと思います。

アイヌ語地名研究で名高い山田秀三さんは、都岐沙羅に就いて、「きさら」を葭原とする解もあるが、(同音で「耳」の意味があるので (参照、広島県の地名耳木谷山の項)、「沼の耳」、と考えてもよさそうだ、と述べてます。(アイヌ語地名の研究#1 p122)。北海道諸地にも、沼のくびれたところをトキサラと呼ぶ地名が残っているそうです。更なる補強として、このような防御施設は「要害」と書いて「ヌミ」と呼ばれていたが、「ヌミ」とは「沼」のことである、としてあります。日本語の古語辞典でも、ヌミの項に「ヌマとも」(言う)とありました。

知里真志保さんのアイヌ語地名小辞典でも、to-kisar 沼の奥が耳のように陸地に入り込んでいる部分、とあります。

「象潟」に就いての説明は私はまだ見たことがありませんが、これも、葦原潟、か、耳潟と解けそうに思えます。なお、耳潟、は耳の形をした湖沼、或いは、耳のように突出している湖沼、位の意味に取れましょう。実際の地形はどうなんでしょう、どうだったんでしょう?

そんな事どもから、木更津、も kisar-to 耳・沼、とも考えてみて、地形と相談して みる必要がありそうです。

なお、沼=to、ですが、「都、津」は、普通読むのは「つ」音であり、「と」と「つ」をゴッチャにして良いものか、疑問無しとはしません。念のため。但し、前回、お話しましたように出雲風土記の「久毛等」が現在では、「雲津」になっている例があり、「と」「つ」相通ずるとしたい気持ちはあります。(^_^)


木更津、再再考
  • 本屋で地名の由来辞典なるものを立ち読みしたのですが、木更津と隣の君津、 共に由来は、日本武尊が詠んだ歌の冒頭の「君さらづ」からきているといわれ ているとありました。

えぇ、以前どなたかのお話で承知しておりましたが、公刊印刷物であるから、それで確 定、とはしないで、色々コネ繰り回して楽しんでおります。(^_^)

さて、「君さらづ」説ですが、これの弱点は(1)木更津には無い「み」の音が余分に入っている(2)「津」は「つ・づ」でしょうが、「さらず」(不去)の「ず」とは音が違いますね。


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