神狭命とは?

orig: 98/01/02


国造本紀では无邪志国造の兄多毛比命の出自が「出雲臣祖二井之宇迦諸忍之神狭10世孫」と書かれています。この「神狭」に就いて調べてみました。結論として、出雲大社神官の系図に出てくる天の穂日の曾孫「津狭」のことらしい、という事がご報告出来そうです。

「津狭」の「津」が「神」の誤写かも知れない、と言うことになります。根拠も無しにそんな事言ってもしょうがないのですが、もしかすると以下の考察で誤写の可能性を指摘できるかな、と思われます。

私の持っている先代旧事本紀は大野七三編・著のものですが、

最初に伊勢国風土記(逸文)を紹介したいと思います。

伊勢国風土記(逸文)
伊勢(一説):伊勢国風土記が言うには、伊勢と言うのは、伊賀の安志(アナシ)の社に坐す神、出雲神子 出雲建子命 又名 伊勢都彦命 又名 櫛玉命 、、、(以下略)

次の資料は古事記の出雲系譜に私が出雲大社神官の系譜を併記した表、出雲神官系譜からの抜書きです。

大國主系図=奥さん←親出雲大社系図
      天之穂日 0
 6.大国主神耳神 ←八島牟遅能神夷鳥  1
 7.鳥鳴海日名照額田毘道男伊許知     2
 8.国忍富神=葦那陀迦神  津狭   3
 9.速多気佐波夜遅奴美神玉比賣←天之主神  4


伊勢都彦は天夷鳥の子、とする武蔵国造系図の話から検証してみます。この表をみると、天夷鳥の子には「櫛瓊」があります。「瓊」は「ニ」と読み、意味が「玉」のことですから、なるほど、伊勢津彦の別名であるとされる(風土記)「櫛玉」という伝承があっても良さそうではあります。

それを踏まえて次に大野七三氏の脚注、「神狭命は伊勢津彦の子」を検証してみると、上表では、「津狭は櫛瓊の子」というのが対応しそうです。従って、「神狭」=「津狭」であろうか、と言う事になります。

もう一つ時代的な面でチェックしておきますと、兄多毛比が神狭の10世孫と言うことは穂日から数えて13代位の所になりましょう。その兄多毛比が、第13代天皇である成務天皇期にムサシ国造に任命されると言うのは、第10代天皇崇神期に天穂日11世孫である宇迦都久怒命が出雲国造に任命されていることと大きく矛盾しないと考えられます。

以上、国造本紀の「出雲臣祖二井之宇迦諸忍之神狭」とは、出雲大社神官系譜で天の穂日の曾孫であり「津狭」と伝えられている人である、らしいぞ、と言うことです。


兄多毛比は武日か?
大伴の祖先「天忍日命」別名「神狭日」!
国造リスト第4表属性による分類へ
出雲系譜
歴史館の目次
コメント・御感想、メールフォームHomepage & 談話室への御案内