orig: 96/12/08
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神産巣日神 | 開闢三神の一 | 神代 |
神素戔嗚尊 | スサノヲの異名の一 | 出雲 |
神大市姫 | スサノヲ妃の一、大年神を生む | 出雲 |
神屋楯比賣 | 大国主妃の一、事代主神を生む | 出雲 |
神活須毘神 | 大年神妃の一である伊怒比賣の親 | 出雲 |
神吾田津姫 | コノハナサクヤ姫の異名の一 | 先住民 |
神倭伊波禮毘古 | 神武天皇の異名の一 | 皇族 |
神八井耳命 | 神武天皇の子 | 皇族 |
神沼河耳命 | 神武天皇の子 | 皇族 |
神明倭迹迹日百襲姫 | 孝霊天皇の子(異説あり) | 皇族 |
神大根王 | 日子坐王の子、別名、八瓜入日子王 | 皇族 |
神櫛王 | 景行天皇皇子 | 皇族 |
神衣媛 | 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される | 先住民 |
神石萱 | 陸奥風土記に現れる土蜘蛛の一、子孫が許される | 先住民 |
神夏磯姫 | 景行紀に現れる女酋、帰順した | 先住民 |
分布としては、神代に1名、出雲系が4名、皇族が6名、先住民が4名、となります。
最後の3名に関しては、地方の土着の民で中央に服従した人達であることが共通点として挙げられます。特に、陸奥風土記の2名に就いては8人兄弟姉妹の内、背いた6人には「神」字がなく、子孫が許された二人に「神」字が付いています。景行紀の「神夏磯姫」も帰順した土族です。
「神吾田津姫=コノハナサクヤ姫」も婚姻を通じて「帰順」したと考えれば、このカテゴリーは4名となります。更に、コノハナサクヤ姫の親が大山祇神であり、大山祇神は出雲にも子孫が多いことを考慮すれば、出雲の4人を合わせて、先住民カテゴリーを8と数えることも良さそうです。
それでは、「神」が前置されているのは全て先住民か、となると、そうでもなさそうな例が幾つかあり断定しかねます。それでも、神大根王は三野(美濃)・本巣の国造でまた、常陸国久慈郡の長幡部連の祖、とされ地方色が濃く、また、神櫛王も日本書紀では、讃岐国造の始祖とされています。地方の有力な先住民を皇族に列させることで懐柔したようなこともあったのでしょうか。
また、倭迹迹日百襲姫のお墓と云われている箸墓古墳が「大市墓」と呼ばれるのも「神大市姫」の名前と相似から大いに気になります。
そんなこんなで、「神」が前置した名前の人の先住民性に注目しています。
話が変わりますが、上記、陸奥風土記に出てきた「神石萱」に関して、興味のある指摘をしてみたいと思います。即ち、景行12年紀に熊襲のある一族の名前として、「厚鹿文」、「末鹿文」、それに「市乾鹿文」と「市鹿文」の姉妹が出てきます。同27年紀には「取石鹿文」が出てきます。「鹿文」は「カヤ」と読みます。
景行天皇紀に現れる賊の名前を検討した一文がありますので、ご参照ください。景行紀の蝦夷 |
これらの名前の後半「鹿文」と、陸奥の「神石萱」の最後の「萱」、特に「市鹿文」と「石萱」の酷似は、九州の熊襲と陸奥の土蜘蛛の間で名付けの慣習に何らかの共通性があったことを推定させます。とりもなおさず、言語の共通性、と言いたいのです。(まぁ、現代日本語の譲治さんと英語の George ってぇ偶然もあるのですが。。。)
更に、前半の「市」「石」が i-si 「その・真の」の意味を持っているとすると「石切=長髓彦?」の「石」ともつながりを仮定できそうです。