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景行天皇年紀 | 名前 | 場所 | 備考 | |
12/09 | 神夏磯姫 | 周防のサバ(佐波) | 服従、通報 神prefix参照 | |
12/09 | 鼻垂 | 菟狭川上 | 征伐される。参照耳垂 | |
12/09 | 耳垂 | 御木川上 | 征伐される。参照耳垂 | |
12/09 | 麻剥 | 高羽川上 | 征伐される | |
12/09 | 土折居折 | 緑野川上 | 征伐される | |
12/10 | 速津姫 | 速見邑 | 服従、通報 | |
12/10 | 青 | 鼠石窟 | 稲葉川上で征伐される | |
12/10 | 白 | 鼠石窟 | 稲葉川上で征伐される | |
12/10 | 打愾 | 直入県禰疑野 | 愾=猿 | |
12/10 | 八田 | 直入県禰疑野 |   | |
12/10 | 国摩侶 | 直入県禰疑野 |   | |
12/12 | 厚鹿文 | 襲国 熊襲の八十梟師 | 征伐される | |
12/12 | 末鹿文 | 襲国 熊襲の八十梟師 | 末=サ | |
12/12 | 市乾鹿文 | 熊襲梟師の娘(姉) | 殺される | |
12/12 | 市鹿文 | 熊襲梟師の娘(妹) | 火国造となる | |
13/05 | 御刀媛 | 襲国高屋宮 | 景行妃となる | |
18/03 | 兄夷守 | 筑紫国 | 既に部下 | |
18/03 | 弟夷守 | 筑紫国 | 既に部下 | |
18/03 | 諸県君泉媛 | 筑紫国 | 大御食を献ず | |
18/04 | 熊津彦・兄熊 | 熊県 | 恭順する | |
18/04 | 弟熊 | 熊県 | 殺される | |
18/05 | 小左 | 山部阿弭古の祖 | 冷水を奉仕する | |
18/06 | 津頬 | 高来県から玉杵名邑で殺される | ||
18/06 | 阿蘇都彦 | 阿蘇国 |   | |
18/06 | 阿蘇都媛 | 阿蘇国 |   | |
18/07 | 八女津媛 | 八女県 藤山 粟岬 |   | ここから、やまとたけるの事績: |
27/12 | 取石鹿文 | 熊襲国 | 亦名、川上梟師。殺された | |
28/02 | 悪神 | 吉備穴海 | 殺された | |
28/02 | 難波柏済神 | 難波柏 | 殺された | |
40/10 | 嶋津神 | 竹水門 | 降伏恭順 | |
40/10 | 国津神 | 竹水門 | 降伏恭順 | |
御諸別王の事績: | ||||
56/08 | 足振辺 | 蝦夷の首師 | 従うものは許され、従わざるものは殺された | |
56/08 | 大羽振辺 | 蝦夷の首師 | ||
56/08 | 遠津闇男辺 | 蝦夷の首師 |
景行紀56年条に足振辺(あしふりべ)、大羽振辺(おおはふりべ)、遠津闇男辺(とおつくらおべ)の3人の蝦夷らが降伏して、ことごとくに其の地を献じた、と言う記事があります。この人名に就いて、蝦夷ならアイヌ語で解けるかも、と思って調べてみます。
1.先ず、「辺」で終わっている事が3者に共通しています。「辺」は、pet 川、の意味に取って良いかと思われますが、或いは、九州の賊が「川上」に多いことを意識して、pena, pen←pe+ne,が「川上」を意味する事を採用しましょうか。
とすると、川下は賊ではなく体制派・ニニギ派にとって友好的だったのでしょうか。そういえば、川下は pana, pan← pa+ne というので、木花開耶姫の「花」は「川下」を意味しているのでしょうか。。。 |
2.前2者に共通する「振」は、hur 丘、が候補になろうかと思います。荒神の稿でも、あらぶる、の「ふる」を「丘、山」に説いております。
3.さて、「大羽振辺」、から取り付いてみますと、大=poro、ですから、岩手県東磐井郡藤沢町にある「保呂羽」「保呂羽山」が、この蝦夷人名を映し出して居るのではないかと思われます。poro-pane-hur-pet、大きな・川下の・丘・川、の意味ではなかったろうか、そして、その活動地域が、東磐井郡周辺だったのであろうか。
4.次に「足振辺」ですが、「足」、asir は「新しい」に宛てて見ますと、この名前の意味は、新・丘・川、になります。上記の保呂羽山の北東2km足らずの所に、「新地、新地峠」があります。或いは、遠野市の新張、辺りを見た方がよいのか。
5.「遠津闇男辺」はチョット難儀です。後半の「闇男」は kur=人、と和語の「男」をくっつけたものでしょうか。(「男」は、o =居る・ある、尻、場所、等の意味にもなりますので更に検討が要ります。)
「遠津」は、to-tuと分解して「湖/沼・峰/岬」あたりでしょうか。
或いは「とおつくら」→「とつくら」→「つちくら」なんて変化して「土倉(山)」などの地名に残っているのでしょうか。「土倉山」なら遠野市の西北境にあります。こうなると、「遠野」の語源も知りたくなります。
6.藤沢町には「献上山」ってのがありますが、上記の景行紀の伝えに因る命名でし ょうか。
7.JR釜石線の遠野市/住田町/釜石市の境界付近に「赤羽根トンネル」「足ケ瀬トンネル」「土倉トンネル」が連続してあります。これらも、それぞれ上記の3蝦夷人名にカラミがあって注目してます。即ち、
「大羽振辺」poro-pane-hur-petと「赤羽根」:
「振」は hur=丘を写したものだと思いますが、これを誤解して,hure=赤,と理解したなら、pane-hur の部分を「羽・赤」と誤訳して、和語らしく「赤羽根」としたのだろうか。(遠野市にも赤羽根があり、関係するかも知れない。)
「足振辺」asir-hur-petと「足ケ瀬」:
asir を「足」に宛て、petを「瀬」に宛てたのだろうか。
「遠津闇男辺」to-tu-kur-o-pet:
意味は取らずに、音を写して「土倉」と。
8.保呂羽山は上記以外にも幾つかあります。宮城県本吉郡志津川町に2つ、秋田県平鹿郡大森町にも保呂羽山があります。山中に「波宇志別神社」、私には今の所、素性不明です。
景行紀に出てくる蝦夷人名が地名に残っていないか、と言う調査のハシリでした。
東北の蝦夷の人名が川(もしかすると、川上)に関わっているらしいことと、九州で征伐した賊に関して7個所も、住所、殺された場所、人名として「川上」が特記されていることに、共通点が見られるようで、興味深いものがあります。
東北地方の「賊」に関しては「神 prefix」の付く人名を検討した稿でも述べておりますが、特に、「カヤ」の付く人名が上記で九州の人名にも、陸奥風土記にも東北の賊名としても出てくることに注目し、名づけの慣習が両地方で似ていることが注目される指摘をしております。