景行紀の蝦夷

orig: 96/09/26
rev1: 97/07/17 format & addition
rev2: 97/07/30 tablulized & corrections/additions
rev3: 97/09/05 href,add.,corrections


日本書紀に出てくる熊襲、土蜘蛛、蝦夷などと呼ばれる人達の名前に興味がありますので、先ず景行紀に登場する、先住民らしき人達のリストから:
景行天皇年紀 名前場所備考
12/09神夏磯姫周防のサバ(佐波)服従、通報
神prefix参照
12/09鼻垂菟狭川上征伐される。参照耳垂
12/09耳垂御木川上征伐される。参照耳垂
12/09麻剥 高羽川上征伐される
12/09土折居折緑野川上征伐される
12/10速津姫速見邑服従、通報
12/10鼠石窟稲葉川上で征伐される
12/10鼠石窟稲葉川上で征伐される
12/10直入県禰疑野=猿
12/10八田直入県禰疑野 
12/10国摩侶直入県禰疑野 
12/12厚鹿文襲国 熊襲の八十梟師征伐される
12/12鹿文襲国 熊襲の八十梟師=サ
12/12市乾鹿文熊襲梟師の娘(姉)殺される
12/12市鹿文熊襲梟師の娘(妹)火国造となる
13/05御刀媛襲国高屋宮景行妃となる
18/03兄夷守筑紫国既に部下
18/03弟夷守筑紫国既に部下
18/03諸県君泉媛筑紫国大御食を献ず
18/04熊津彦・兄熊熊県恭順する
18/04弟熊熊県殺される
18/05小左山部阿弭古の祖冷水を奉仕する
18/06津頬高来県から玉杵名邑で殺される
18/06阿蘇都彦阿蘇国 
18/06阿蘇都媛阿蘇国 
18/07八女津媛八女県 藤山 粟岬 
   ここから、やまとたけるの事績:
27/12取石鹿文熊襲国亦名、川上梟師。殺された
28/02悪神吉備穴海殺された
28/02難波柏済神難波柏殺された
40/10嶋津神竹水門降伏恭順
40/10国津神竹水門降伏恭順
   御諸別王の事績:
56/08足振辺蝦夷の首師従うものは許され、従わざるものは殺された
56/08大羽振辺蝦夷の首師
56/08遠津闇男辺蝦夷の首師

景行紀56年条に足振辺(あしふりべ)、大羽振辺(おおはふりべ)、遠津闇男辺(とおつくらおべ)の3人の蝦夷らが降伏して、ことごとくに其の地を献じた、と言う記事があります。この人名に就いて、蝦夷ならアイヌ語で解けるかも、と思って調べてみます。

1.先ず、「辺」で終わっている事が3者に共通しています。「辺」は、pet 川、の意味に取って良いかと思われますが、或いは、九州の賊が「川上」に多いことを意識して、pena, pen←pe+ne,が「川上」を意味する事を採用しましょうか。

とすると、川下は賊ではなく体制派・ニニギ派にとって友好的だったのでしょうか。そういえば、川下は pana, pan← pa+ne というので、木花開耶姫の「花」は「川下」を意味しているのでしょうか。。。

2.前2者に共通する「振」は、hur 丘、が候補になろうかと思います。荒神の稿でも、あらぶる、の「ふる」を「丘、山」に説いております。

3.さて、「大羽振辺」、から取り付いてみますと、大=poro、ですから、岩手県東磐井郡藤沢町にある「保呂羽」「保呂羽山」が、この蝦夷人名を映し出して居るのではないかと思われます。poro-pane-hur-pet、大きな・川下の・丘・川、の意味ではなかったろうか、そして、その活動地域が、東磐井郡周辺だったのであろうか。

4.次に「足振辺」ですが、「足」、asir は「新しい」に宛てて見ますと、この名前の意味は、新・丘・川、になります。上記の保呂羽山の北東2km足らずの所に、「新地、新地峠」があります。或いは、遠野市の新張、辺りを見た方がよいのか。

5.「遠津闇男辺」はチョット難儀です。後半の「闇男」は kur=人、と和語の「男」をくっつけたものでしょうか。(「男」は、o =居る・ある、尻、場所、等の意味にもなりますので更に検討が要ります。)

「遠津」は、to-tuと分解して「湖/沼・峰/岬」あたりでしょうか。

或いは「とおつくら」→「とつくら」→「つちくら」なんて変化して「土倉(山)」などの地名に残っているのでしょうか。「土倉山」なら遠野市の西北境にあります。こうなると、「遠野」の語源も知りたくなります。

6.藤沢町には「献上山」ってのがありますが、上記の景行紀の伝えに因る命名でし ょうか。

7.JR釜石線の遠野市/住田町/釜石市の境界付近に「赤羽根トンネル」「足ケ瀬トンネル」「土倉トンネル」が連続してあります。これらも、それぞれ上記の3蝦夷人名にカラミがあって注目してます。即ち、

「大羽振辺」poro-pane-hur-petと「赤羽根」:
「振」は hur=丘を写したものだと思いますが、これを誤解して,hure=赤,と理解したなら、pane-hur の部分を「羽・赤」と誤訳して、和語らしく「赤羽根」としたのだろうか。(遠野市にも赤羽根があり、関係するかも知れない。)

「足振辺」asir-hur-petと「足ケ瀬」:
asir を「足」に宛て、petを「瀬」に宛てたのだろうか。

「遠津闇男辺」to-tu-kur-o-pet:
意味は取らずに、音を写して「土倉」と。

8.保呂羽山は上記以外にも幾つかあります。宮城県本吉郡志津川町に2つ、秋田県平鹿郡大森町にも保呂羽山があります。山中に「波宇志別神社」、私には今の所、素性不明です。

景行紀に出てくる蝦夷人名が地名に残っていないか、と言う調査のハシリでした。

東北の蝦夷の人名が川(もしかすると、川上)に関わっているらしいことと、九州で征伐した賊に関して7個所も、住所、殺された場所、人名として「川上」が特記されていることに、共通点が見られるようで、興味深いものがあります。

東北地方の「賊」に関しては神 prefixの付く人名を検討した稿でも述べておりますが、特に、カヤの付く人名が上記で九州の人名にも、陸奥風土記にも東北の賊名としても出てくることに注目し、名づけの慣習が両地方で似ていることが注目される指摘をしております。


Homepage & 談話室への御案内
目次へ
コメント・御感想など、メールのご案内