欠史時代の皇妃たち

横長の表がありますので、十分な幅でご覧下さい。


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欠史8代の皇妃の中で、第2−7代の6代に就いては、磯城周辺の豪族出身が目立つ事が知られています。先人が色々研究されているようですが、小生も興味を持ったので、下記の諸点を提示して見たいと思います。小生、不勉強の為に、既に指摘のある事も多いかとは思いますが、しばしお付き合い頂ければ幸いです。

先ず、粗データとして、下表から始めます。(基本的には、岩波日本古典文学大系日本書紀上巻、補注、P581、と同じです。それに、神武天皇の行を足し、天皇の和名を併記しました。)下に記述する便宜の為に、縦軸と横軸に番号を振りました。例えば、32と書いた場合は、3代目(安寧)の皇妃に関する、日本書紀第2の一書(小生がこれも便宜の為に呼称する、十市系)、即ち、糸井媛、を意味します。

# 天皇名書紀本文
一書(磯城系)
一書(十市系)
古事記
1 神武
カムヤマトイワレビコ
事代主&玉櫛媛
 姫タタラ五十鈴媛
    −    −大物主&勢夜ダタラ比賣
 富登タタライススキ比賣
2 綏靖
カムヌナカハミミ
事代主神女
五十鈴依媛
磯城県主女
川派媛
春日県主
大日諸女
糸織媛
師木県主祖
河俣毘賣
3 安寧
シキツヒコタマデミ
事代主神孫鴨王女
渟名底仲媛
磯城県主葉江女
川津媛
大間宿禰女
糸井媛
師木県主波延女
阿久斗比賣
4 懿徳
オホヤマトヒコスキトモ
息石耳命女
天豊津媛
磯城県主葉江
男弟、猪手女
泉媛
磯城県主
太眞稚彦女
飯日媛
師木県主祖
賦登麻和訶比賣
亦、飯日比賣
5 孝昭
ミマツヒコカヱシネ
尾張連祖
瀛津世襲妹
世襲足媛
磯城県主葉江女
渟名城津媛
倭国豊秋狭太媛女
大井媛
尾張連祖
奥津余曾妹
余曾多本毘女
6 孝安
ヤマトタラシヒコクニオシヒト
姪押媛磯城県主葉江女
長媛
十市県主
五十坂彦女
五十坂媛
姪忍鹿比賣
7 孝霊
オホヤマトネコヒコフトニ
磯城県主大目女
細媛
春日千乳早山香媛十市県主等祖女
眞舌媛
十市県主祖大目女
細比賣

大きく観察すると、書紀本文が事代主系を主張しているのが、よく見えます。磯城系、と仮称した第1の一書は、殆どが磯城県主を出自としています。

第2の一書は、春日系(1例)、磯城系(1例)、十市系(2例)と分布しています。それで、2例を数える十市系と仮称しました。

古事記は、どう表現出来ましょうか、なんか、平均的な見解の様にも窺えます。

表には加えなかったのですが、先代旧事本紀は大体、日本書紀と同説、と理解しました。大体、と申しますのは、実は、先代旧事本紀は、5孝昭 、6孝安 辺りに、乱丁(原文からの既に乱丁しているのか、小生の持っている「大野七三編著」版がミスっているのか不明)がある為、です。

さて、書紀本文は、綏靖妃が五十鈴依媛(上表でのブロック20)だとしている一方、磯城系の女性である、との異説もあります。彼らの子供(安寧天皇)の名前を見てみると、「師木津日子玉手見」で、母系の「シキ」を貰ってきているように見えます。この安寧天皇の第3子にも「師木津日子」が居り「シキ」を引き継いでいます。こんな事から、綏靖妃や安寧妃には「磯城系」の女性を宛てると、名前のつながりは良くなります。

参照上表

次に、磯城系の一書を眺めて行きますと、「磯城県主女」(磯城の県の主である葉江、または、葉江の男弟、の娘)が4代に亘って皇妃になっています。これは、本当だとすると、「葉江」さん、とは一人の人物ではなく、歴代の職名乃至は親子の襲名みたいなものなのか、と思われます。(或いは、もっと大胆に、従ってここに4代もある訳ない、1代に短縮すべきなのだ、なんて言説も可能になるのでしょうか。)

面白いのは、神武紀に、神武天皇が征伐した兄磯城、と懐柔された弟磯城の事が出てますが、その弟の名前を「弟磯城黒速」としており、論功行賞として、「磯城県主と為す」とあります。

「黒速」は「クロ・ハヤ」と読んで良いでしょう。一方、「葉江」は、カタカナでは「ハエ」としか書けませんが、「江」は「ヤ行」の「エ」であった、とされています。(橋本進吉、「文字及び仮名遣の研究」P192-)。同様に、古事記の表記「波延」(上表34)の「延」も「ヤ行」の「エ」とされており一貫性があります。

つまり、神武東征説話の「弟磯城・黒速」から欠史時代の「葉江」に連続性が確認されます。なお、ブロックの41に「男弟」と云う表現があります。これは、原則として敢えて「男」と書かない限り「弟」とは女性の意味になるからなのでしょうか。

次に十市系とした第2の一書を見てみます。上表22の皇妃の親の名前が、「大日諸」、次代では、「大間宿禰」(32)となっています。ここで、「大日」は間違いで「大目」が正しいとすると、32の「大間」に通じる様に思えます。これは後代(70、73)にも「大目」が出てくるので、「日」の字は「目」の間違いかも知れません。つまり、「大日諸」と「大間宿禰」は同一人物(或いは直系の親子関係にある)か、と言う事です。

参照上表

「糸織媛」と「糸井媛」も発音が近いように思えます「イトリ媛」が原形だとすると,この二つに分化して(訛って)漢字表記されたとしても、理解出来そうです。42の「磯城県主太眞稚彦」と言うのが次に話題を提供してくれます。即ち、これをヒントに「大目」も、実は、「太目」だったのではなかろうか、と言う事です。「フトマ」が本来で、それを書いて行く内に「太眞」→「太目」→「大目」→「大間」などと誤写されて来たように思われます。(誤写、などとはウカツに言ってはいけないのでしょうが、こういう議論を経れば仮説としては許して貰えるでしょうね。)

「フトマ」と読むに就いての追加の味方は、古事記43に「賦登麻和訶比賣」が居るようですが、チョット問題が残っています。それは、「太い」と言う意味の「フト」の「ト」は、いわゆる甲類の「ト」だと思うのですが、(参照:神代紀、「太占」を「布刀磨爾」と訓む、とあり、ここの「刀」は甲類)、「登」は乙類なのです。

これの整合を取る仮説が3つ考えられます。一つは古事記に「賦登麻和訶」と書いた時点では、既に甲類乙類が消失していた。→古事記偽書説への味方か? もう一つは、ここの「フト」は、実は「太い」の意味ではない、、、では何か?もう一つは、「太占」は何も「太い」意味では無い。単に外来語(?)を写しただけ?フト、について考えてみました。

第7代天皇、孝霊の名前は、書紀では「大日本根子彦太瓊」、古事記では「大倭根子日子賦斗迩」があり、「斗」は「刀」と同じ甲類です。どうも、「賦登麻和訶」という風に、乙類の「登」の字を使ったのには、怪しさ、が感じられます。

参照上表

類似の怪しさに就いては、「蝿伊呂泥・蝿伊呂杼」(安寧記)があります。この姉妹は、第3代安寧の第3子、師木津日子 − 和知都美 − この姉妹、と言う系譜です。

安寧(師木津日子玉手見)が綏靖と事代主系の妃からではなく、綏靖と「磯城」の川派媛(河俣毘賣)から出たとすると、「ハエ」の名前を引き継いで来ていて、安寧の第3子にも、「師木津日子」がいるのが、とても判り易くなります。葉江(波延)が haye であるのに対して、「蝿」の音は,どうも、hahe らしい。それは、神代紀(天孫降臨、第6の一書)に「五月蝿」が出てきて、これの訓みを、「佐魔倍」と書いてあります。これは、「サバヘ」なのです。)古事記の漢字表記は甲乙の別が消失してからか。また、「江」と「へ」「エ」の区別が乱れてから作られたものか? なんて話も出来そうです。

書紀での同姉妹の名前表記では「糸ヘンに互、互の中にテンテン」と言う見慣れない字が使われてます(孝霊紀)。この読みに就いては岩波版日本書紀の頭注(p229の八)では、「ハヘ」、と読むとの解説があり、古事記の「蝿」と同じとしています。「葉江」とは結び付けていない。

参照上表

さて、表に戻って、孝元妃を見比べてみます。押媛、長媛、五十坂媛、忍鹿比賣。読みは「オシ」「ナガ」「イサカ」「オシカ」とされて来ています。「長」は「ナガ」ではなく「オサ」と読むと、この4説も人定の異説と言うよりは、単に訛り(発音/表記の変化)の範疇に入るように思えますがどうでしょうか。

72のブロックにある「眞舌媛」ですが、43の「賦登麻和訶比賣」などを参照して,「マワカ媛」、即ち、「舌」は「若」の誤写で、「眞若媛」だったのではないでしょうか。71にある「千乳早山香媛」(チチ・ハヤ・マカ媛、と区切れば、最後の「マカ」は「マワカ」の訛と理解できる。)もこの仮説を助けるようです。(ハヤ、も再登場。)

あれこれ、まとまりなく書いてしまいましたが、こんな事を調べて楽しんでおります、 って事で。長文失礼しました。


メモ: 「目」の事をアイヌ語で、 shik (所属形は shiki)と云う。

「兄磯城・弟磯城」「兄猾・弟猾」のように、「兄・弟(え・おと)」が語頭に付く グループと、

「蝿伊呂泥・蝿伊呂杼」のように、「ネ・ド」が兄弟(姉妹)の対立の語で、 それが語尾に付いているグループ。

同様に、「神・・・」「姫・・・」「日子・・・」と肩書きが語頭「にも」来ている 名前、とそうでない名前の群。

或いは、「イザナギ・イザナミ」の「ギ・ミ」の男女の語意の対立、と、 「ヒルコ・ヒルメ」に男女の語意の対立、が別群になるのだろうか。


欠史8代・再構築の試み・1
欠史8代・再構築の試み・2
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欠史8代・再構築の試み・4
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