板橋論文 |
板橋論文でも「高句麗地名は高句麗語を表しているか」という節を設けて、この点に関して「議論を踏まえる必要がある。」としている。その通りに思う。
同論文では、『三国史記』地理志巻35,37に挙げられた地名の所在地について
1)用字の特徴(表形式は引用者。使用回数は引用者が追加。)
2)これらの地名が方言を示している。例として口を意味する今日の江華島と披州に当たる地域では「古次」または「串」で表され[kuci]と読まれたであろうと考えられるのに対し、今日の始興・揚口などでは「忽次」と表されており[kurci]と読まれたと考えられ、後者が古形であろうと見られる。 3)「三国史記」巻37は高句麗地名(故高句麗南界)百済地名と「三国有名未詳地分」を記載した後、「鴨緑水以北未降十一城」「鴨緑水以北新得城三」などを挙げ、鴨緑以北の地名が高句麗地名と同じ特徴を示しており、特徴的であるとし、具体的な語例を挙げている。 4)「三国史記」の地名以外の史籍に現われる高句麗語資料には人名、官名、部族名などの少なからぬ固有名詞を見ることができる。これらは明らかに高句麗語を代表する確実な資料と言える。その例としていくつか具体例を挙げている。 5)「三国史記」の高句麗地名が初期中期朝鮮語資料に現われるが、これは地名から構築される単語が一部統一新羅を経て高麗時代中期または朝鮮時代初期まで存続していたという事実から、この地名を表した言語がこの地方の本来の言語であるとする可能性は少ないと考えられ、従って、それは高句麗語である蓋然性が最も大であると思われる。 (以上が板橋論文が概観する李論文で、内容としては私の孫引きとなる) (板橋氏の文)これらの積極的な理由は妥当であると考えるが、それをさらに強化する意味においても以下のより多くの語例に基づいた言語学的考察が不可欠である。(引用終わり) この後、板橋論文では高句麗語と日本語、その他の諸語との対応比較を提示しており、「高句麗地名」が「高句麗語」であるか、に関しては読みとれなかった。 上記3)に云う「鴨緑以北の地名」を下記拾い出しておく。確かに「忽」を「城」の意味に使っている例が多く、それが高句麗語地名の特徴として良いだろう。そうでない事例もあるにはあるが。
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