『三国史記』高句麗地名の「尸」の読み方
orig: 2004/06/23
rev1: 2004/08/01 武尸伊郡追記

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『三国史記』に出てくる数多くの高句麗地名に「尸」字がしばしば使われている。
山縣 *買尸達縣
野城郡 *也尸忽郡
*于尸郡
(一云 斤尸波兮)
川郡(一云 也尸買)
「尸」の中国音の変遷は学研『漢和大字典』によると:

呉音漢音とも:シ。
上古−中古−中世−現代の順に、発音記号を簡略化するが、thier-shii-si-si である。つまり「シ」の周辺の音である。

しかしながら、『三国史記』の読みでは r とか l に読んでいる。(例:板橋論文(62) ur 于尸)。これはどうしてだろうか。

板橋論文と同じ『日本語系統論の現状』に、福井玲著『古代朝鮮語についての若干の覚え書き』が収められている。ここにそのことが書いてある。この福井論文では、「郷歌」(ひゃんが)から新羅語の研究をしている。(なお、「新羅の「郷歌」から窺われる語形が中期朝鮮語と密接な関係を持つ・・」といい、今の韓国語朝鮮語、中期朝鮮語の「直接の祖先は新羅の言語である」という基本認識を示している。)

福井論文は「郷歌に用いられる主な文法的形態素を表す字」として「是、叱、乙」など計19字を掲げている。その一つに「尸」がある。これは文法的には「未実現連体形」という機能を果たしていて、その音は「l??」とある。そして、その「由来」は「不明」としてある。また中期朝鮮語の「lq」に対応していると考えている。(ここのqは、声門閉鎖の文字で書かれることがあり、その代用である。)

つまり、中期朝鮮語の「未実現連体形」に使われる文字の幾つかは「lq」と読む、従って中期朝鮮語で同様な場所に同様な文法機能で使われている「尸」も「lq」と読む、ということのようだ。従って、郷歌の「尸」も「lq」に近いであろう、ということになるようだ。


しかし、板橋(#43)には「尸蝋」を sirap (意味は「白」)としている例がある。ここでは「尸」をsiと解している。この一見不整合は何であろう?多分単純なことだ。語尾の場合だけが文法機能の場合のように「l??」と読み、語頭では中国音に沿った音を示すものと理解しているのだ。

上記のように、尸をラ行音に読む由来は不明とされているが、思いつきながら「芦、蘆」からの略記体ではなかろうか。とすると、漢字を略記して文法的活用語尾に使用する、という意味で仮名文字と同目的、同方法であると言えよう。


このことを書いたのは、漢字をどう読むのか、はとても難しいことだ、ということの再認識をしておきたいからだ。

当然、中国の音、またはそれに近く読むことがあり得る。そして、日本人が日本語の「訓」で読むように、高句麗人も新羅人も百済人も独特の「訓」を持っていたのだ。「我愛爾」という文字列をみて英語で訓ずれば I love you.である。「訓」とはその本質は「翻訳」なのだ。


似たようなケースで「忽」の字を見てみる。我々は「コツ」とでも読むであろうこの字はkuar(板橋(#23)但し簡略記法)と読まれている。このように中国音なら最後が「t」になるところが高句麗読みでは「r」になっている。このような例は他にも多数ある、即ち、「伐」バツが bor 、「別」ベツが biar 、「密」ミツが mir 、「勿」モツが mur、など。(余談だが河野六郎さんは1945の論文で「密」をmitとして居られたようだ。)

これらのように語尾が中国音では「t」の文字は高句麗読みでは「r」である、というのは良いのであろうか。一つ「忽」に就いては、それで良いのであろう、という傍証が得られたので報告する。

「忽」については、これが「城」の意味であることは諸地名データから間違いないであろう。さて、『三国志』の高句麗条に「溝者、句麗名城也」とあり、これは『三国志』であるから中国音で読めばよい。「コゥル」に近い音であろう。高句麗では、「城」のことを「コゥル」に近い音で表していて、また「忽」字で表している。それなら「忽」も高句麗では「コゥル」に近い音(少なくとも「コツ」よりは「コゥル」に近い音)で読まれていたのであろう、ということになる。


2004/08/01追記:

もう一例を挙げておく。
P112武霊郡本百済の武尸伊郡★今霊光郡。領縣三
ここで「武尸伊」の「尸」を「シ」のように読むよりはラ行音に近いものであっただろう、と想定する方が「武霊郡」と改名したこととのつながりが良い。この事例から「尸」はラ行音に取るのが高句麗のみならず百済、新羅でも相応しい、ということになるか。


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