三國史記高句麗地名各論
巻三五・#34/40/90 馬を調べる
orig: 2004/06/30
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板橋#24と#25では「馬」が高句麗語では「堅」と「馬」を意味するとしている。 これらの依って来たる所は次であろう、と思われる。
#新羅版地名*本高句麗巻37記事
34 來蘇郡 *買省縣 [34買省郡(一云馬忽)] 來蘇=買省は音通のみか● 
40 堅城郡 *馬忽郡 堅=馬 [40城郡(一云馬忽)]
90 玉馬縣 *古斯馬縣 玉=古斯(板橋#21)
表の上から順番に「馬」が何に対応しているかを見ると、「買」「堅」「馬」に対応していることが判る。
  • この内、#34の「買」は他の例から「ミ、メ」あたりの音を表していて、意味は「川」である、と考えられる。
  • #40は字面の対応からは確かに「堅」と「馬」が対応しているようだ。板橋#24では、ツングース諸語に「堅・難」がmangga, manga, mana,などがある、と示しており、一定の信頼度がありそうである。一方『三国史記』巻37ではいずれも「一云馬忽」となっており、#40の場合も「川」の意味であることを妨げないようである。

  • #90では新羅地名の「馬」が高句麗地名の「馬」と対応しているので「馬」は「馬」の意味だ、とするのも判る。が、その音が ma であるのは漢語からの借用を考えられる。板橋論文でも「従来この語は中期中国語からの借用と考えられるが、Beckwith(2002)ではこれも対応する語として挙げている。」という。確かに「馬」という「もの」が北方から中国本土に入った、とでも考えれば「馬」を ma に近く読む最初の言語は北方にあったかもしれない、つまり、中国語が借用した語かもしれない。

    それはさておき、#90の「馬」字も「川」の意味であることを妨げない。実に「古斯馬」で「玉川」になるほどだ。

このように見てくると、別途問題提起していた、 「驍=川か?」も、この難しい文字も単に「馬」でも良かったのかもしれない、と思えるに至る。

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