巻三五・#45 熊を調べる |
「熊」のついた地名を拾ってみる。 | ||||
# | 新羅版地名 | *本高句麗 | 巻37記事 | |
45 | 功成縣 | *功木達縣 | [45功木達(一云熊閃山)] | |
57 | 如羆縣 | *若豆恥縣 | [57若只頭恥縣(一云朔頭、一云衣頭)] | |
S49 | 熊神縣 | 本熊只縣★今因之 |   | |
P001 | 熊州 | ●舊都 唐高宗遣蘇定方平之 置熊津郡督府 羅文武王取其地有之 神文王改為熊川州 置都督 景徳王十六年 改名熊州 今公州。領縣二 [熊川州(一云熊津)] | ||
都督府一十三縣(唐占領下の百済統治府名 熊津都督府)の一つ | ||||
  | 熊津縣 | 本熊津村 |   |
板橋20では、功木=熊、としている。これは巻37の[45功木達(一云熊閃山)]に拠るものであろう。然からば「閃」はどうなるのか? 功=熊、木=閃 という事も可能に思えるが、それはともかく 学研『漢和大字典』によると「閃」には「ひらめく、さっと門にはいる。一瞬ちらっと見える。ひらひらと見え隠れする。」という語義が与えられている。 さて、神武記に「熊野村に到ったとき、大熊髪(ほのかに)出入即失」とあり、その直後神武一行は「をえ」(疲れ)て伏して(倒れて)しまう。 「熊がほのかに見える」という神武記と高句麗地名に共通するモチーフは何なんだろう。高句麗地名「功木達、熊閃山」に因む説話がない(と思う)のが残念だ。神武東征が結局「功成る」?まさか。
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つぎに「57 如羆縣」をみてみる。(羆は ひぐま である)これは本高句麗の若豆恥縣だ、とある。如=若(漢字の意味として as if に近いものがある。)とすると「羆=豆恥」と抽出できそうだ。これは「ツチ」に近い音であろう。和語カグツチなどのツチとの関連を模索したくなる。一方、「S49 熊神縣 本熊只縣」から「神=只」=チが取り出せそうであり、「只」(チ、キの周辺の音)に神性を示すものが伺える。 なお、『三国遺事』(新羅始祖 赫居世王)に人名で「祗沱(只他とも書く)」とあり「「祗=只」としているのも参考になろう。 日本側でも「枳」字を使った神名の例がある。出雲風土記「阿遅須枳高日子命」「阿受枳社」「伊佐奈枳命」「天津枳比佐加美高日子」 |
上表最後の熊州と熊津縣は百済関係の地名だが、ここからは興味ある情報は抽出できない。 |