三國史記高句麗地名各論
巻三五・#45 熊を調べる
orig: 2004/07/27
「熊」のついた地名を拾ってみる。
#新羅版地名*本高句麗巻37記事
45 功成縣 *功木達縣 [45功木達(一云熊閃山)]
57 如羆縣 *若豆恥縣 [57若只頭恥縣(一云朔頭、一云衣頭)]
S49熊神縣本熊只縣★今因之 
P001熊州●舊都 唐高宗遣蘇定方平之 置熊津郡督府 羅文武王取其地有之 神文王改為熊川州 置都督 景徳王十六年 改名熊州 今公州。領縣二 [熊川州(一云熊津)]
都督府一十三縣(唐占領下の百済統治府名 熊津都督府)の一つ
 熊津縣本熊津村 

板橋20では、功木=熊、としている。これは巻37の[45功木達(一云閃山)]に拠るものであろう。然からば「閃」はどうなるのか? 功=熊、木=閃 という事も可能に思えるが、それはともかく

学研『漢和大字典』によると「閃」には「ひらめく、さっと門にはいる。一瞬ちらっと見える。ひらひらと見え隠れする。」という語義が与えられている。

さて、神武記に「熊野村に到ったとき、大熊髪(ほのかに)出入即失」とあり、その直後神武一行は「をえ」(疲れ)て伏して(倒れて)しまう。

「熊がほのかに見える」という神武記と高句麗地名に共通するモチーフは何なんだろう。高句麗地名「功木達、熊閃山」に因む説話がない(と思う)のが残念だ。神武東征が結局「功成る」?まさか。

つぎに「57 縣」をみてみる。(羆は ひぐま である)これは本高句麗の豆恥縣だ、とある。如=若(漢字の意味として as if に近いものがある。)とすると「羆=豆恥」と抽出できそうだ。これは「ツチ」に近い音であろう。和語カグツチなどのツチとの関連を模索したくなる。一方、「S49 熊縣 本熊縣」から「神=只」=チが取り出せそうであり、「只」(チ、キの周辺の音)に神性を示すものが伺える。

なお、『三国遺事』(新羅始祖 赫居世王)に人名で「祗沱(只他とも書く)」とあり「「祗=只」としているのも参考になろう。

日本側でも「枳」字を使った神名の例がある。出雲風土記「阿遅須枳高日子命」「阿受枳社」「伊佐奈枳命」「天津枳比佐加美高日子」

上表最後の熊州と熊津縣は百済関係の地名だが、ここからは興味ある情報は抽出できない。

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