巻三五・#47/96/109 猪・考 と 兎・疑 |
板橋#59では「烏」v (何らかの母音)が「猪」であり、日本語の「ゐ」と対応している、としている。「猪」字の入った情報(+α)は下記の通りである。 | |||
# | 新羅版地名 | *本高句麗 | 巻37記事 |
96 | 弉蹄縣 | *猪足縣 | [103猪足縣(一云烏斯廻)] |
147 | 豢憖縣 | *猪篦穴縣 | [143猪篦穴縣(一云烏斯押)] |
109 | 弉嶺縣 | *猪守紛縣 | [120猪蘭紛縣(一云烏生波衣、一云猪守)] |
47 | 廣平縣 | *斧壌縣 | [47於斯内縣(一云斧壌)] 板橋#B37は「斧=於=u」としている |
高句麗語内部(つまり右二欄のデータ)で: 96から、「猪」(意味)と「烏」(音)が対応する、と引き出すと、残りは「足」対「斯廻」で、これらの対応はどうなっているのだろうか。板橋B40では「廻 γwy」を「足」と抽出している。そうすると「斯」が浮いてしまう。 147から、「猪」と「烏」の対応を引き出すと、残りは「篦穴」と「斯押」となり、これらの対応はしているのだろうか。 109を見てみると「紛」(意味)と「波衣」(音)が対応していると認められるので、残りは「猪蘭」と「猪守」と「烏生」である。これらは更に「猪」「猪」「烏」と対応させれば、残りは「蘭」「守」「生」となるがこれらは対応しているのであろうか。 「猪」(意味)の音は「烏」である、と対応を引き出すのと、同じ確かさで、「猪」は「烏斯(ウシに近い)」と訓じられた、と言えまいか。この場合は、「足」、「篦穴」「欄」「守」は対応する文字がない(無視された)という想定になる。 それなりの強引さは認めるがこの解の魅力は、「廻」(〜カイ)と「押」(〜カウ)を類音・同義に理解することができることである、そしてその語義は一種の村用語であろう。(78加火押、58屈押縣、56夫蘇岬(押と同じであろう)、49阿珍押縣がある。) 「猪」=「烏」の場合は、「足」=「斯廻」と、「篦穴」=「斯押」を説明せねばなるまい。 上表最後の板橋#B37にある「斧=於=u」は「47於斯内縣(一云斧壌)」に基づくものであろうが、「内」=「壌」であろうから、この解では「斯」が浮いてしまう。ここも「於斯」で一語と捉えてはどうだろう。そしてその意味は「斧」でもあり「猪」でもある、と。 「烏斯」を「ウシ」に近く読んでみた。高句麗語での意味は「猪」であるが、日本語の「牛」に転じていることも視野にいれておきたい。板橋45では「首 su、烏 v」の二つを日本古語の「牛 usi」に宛てている。私見では「烏」のみでなく「於斯」「烏斯」を「牛」に宛てることができそうである。 兎・疑: さて、上に「烏斯」(ウシ)は高句麗語で「猪」を表すようだ、と見た。一方「烏斯含」という単語が抽出されている。新羅地名の「兎山郡」はもと高句麗の「烏斯含達縣」だった、ということが根拠で「烏斯含」の意味は「兎」、音は「ウシガン」「オサガム」の周辺。これが和語の「うさぎ」と通じている(同系だ、とも)とされている。 これを見つけた人は(金沢庄三郎 1912 であろう)喜んだだろうが、間もなく一世紀になる。虚心に立ち返って再考してみてはどうだろうか。提案するのは、即ち、「含」字は「達」につくものかも知れない、という可能性である。「還馬、蓋馬」が high mountains 大山を意味する(板橋#6)。「含」は、これらの初字と通じるものではないのか。つまり「烏斯含達」は「烏斯含・達」と切るのではなく「烏斯・含達」と区切って「猪・岑山」〜「牛・嶺山」の意味にもなりはしまいか。という問題提起である。 この問題提起が有効である周辺事情を書いておくと:
「烏斯含達」縣の語義は「烏斯・含達」と区切って「牛・岑」なのだ、ということではないか。つまり「牛岑郡」の中に「烏斯含達(牛岑)縣」があった、ということになるのではないか。これが本義であり、新羅時代に「牛岑縣」を「郡」に昇格させるにあたり「烏斯含」と切り取った音が「新羅語」で「兎」に近かったので「兎山郡」と名づけた、と見るべきではないか。
「烏斯含達」: |