三國史記高句麗地名各論
巻三五・#15/#107 赤
orig: 2004/06/27
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「赤」を示す言葉を追いかけてみる。
板橋論文では#41に「沙伏 saipuk」と「沙非斤 saipikon」を「赤」としている。これは次表の15と107に因るものであろう。同論文では、これら抽出された高句麗語を日本古語の「so2Fo ソホ(赤土)」、百済語の「sopi 所比 赤」に対応するものとして掲げている。
15本高句麗沙伏:ここで、城=忽だから赤=沙伏が引き出せる(板橋41) cf107
87赤山縣本高句麗縣、とあるだけで対応取れず。
107本高句麗丹=赤松=木 [118縣(一云沙非斤乙)] つまり、板橋#41は「沙非斤」と区切って「」と取る。私論では「沙非斤乙」と区切って「赤=沙非=サヒ」「斤乙=木」とする。板橋15では「斤、斤乙」を「木」としている。

上に見るように87は追加情報を与えてくれないが、107を参照すると巻37の118から「赤=沙非」が抽出できる。「沙非」で「赤」と云うと「錆、さび」が咄嗟に思い浮かぶ、が、この語(さび)は『時代別国語大辞典上代編』には出ていない、つまり、古語であるかどうか不安だ。勿論「サヒ:刀の類、鋤の類」というのは古語にあり、さて、「赤=サヒ=刀、鋤」ということが言えるかどうか。日本古語内部でも「ソホ」と「サヒ」は s_h_ という音の構成になっていて、関連のある語のように見える。

百済語に関しては「P032 縣 本百済の所比浦縣」があり「所比」を「」だけに対応させている(板橋#41)が「赤鳥」に対応している可能性もあろう。そのように「赤鳥=所比」と捉えると、下記丹後風土記逸文の「ニホ」鳥との関連がつく。「所比」が「ソピ」に近いだろうから、「ソホ、サヒ、ソピ」というのがひとまとまりに(つまり同源の可能性ありと思われる群)なりそうにも思える。

なお、上表記載のように、板橋#41は「沙非斤乙」から三文字「沙非斤」を取って「赤」とする。そうすると最後の「乙」の説明が必要であろう。私論の場合には二文字「沙非」を以て「赤」に対応させるので、「斤乙」が残る。これは、板橋#15が掲げているように「kil, kir, kin」あたりの音で意味は「木」とあるのに合致する。すなわち「丹・松」は「赤・木」と対応し「沙非・斤乙」に対応する、このような区切り方がより整合性の高いものに思われる。

さて、「赤=サヒ=刀、鋤」に関して下記を示しておきたい。『丹後風土記残欠』の次の記事である。すなわち:

【爾保崎と名付ける所以は、昔、日子坐王、勅を奉じて土蜘蛛を逐いはらう時に、持っていた裸の剣が塩水に触れて錆びた。そこへ、ニホ(鳥)が並び飛んで来て、その剣に貫き通されて死んだ。これにより、が消えてもとに戻った。それで、その地を爾保と云う】

「錆び」の部分は原文では「精」と書いてある(初字は「鐵」の異体字)。サビを、鉄の精と考えたのだろう。この熟語(?)はしかし『学研・漢和大字典』には見あたらなかった。
つまり「刀剣」と「錆」は(当然ながら)関連強いものがある。この記事の鳥名、ニホ、も当然「赤(土)」と「錆」を意識しているものと思われる。

[2011/06/07追記]  百済語「所比」意味「赤鳥」:現代日本語「あかしょうびん」方言に「赤鳥」:即ち現代日本語「しょうびん」は百済語「所比」に遡及できそうである。上代日本語「そひ」は「淡赤色」とある(時代別国語大辞典上代編);鳥名として近いものには「そに」があり「翡翠(かわせみ)」のことであるが「古訓に『そひ』ともあり倭名抄にも「ソヒ、小鳥なり、色青翠・・」とある。
 従って「大(おほ)背飯(そび)三熊(みくま)大人(うし)」の「そび」を何らかの鳥と理解することが行われている(岩波、日本書紀、補注2−3)。私説本稿ではこれが百済語「所比」と関連付くことを指摘し、また、赤鳥・錆・サヒ(刀や鋤)を語群として捉えていることが新しい(だろうと思う)。


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