高倉下の名前について

orig: 2001/08/06
add : 2001/12/28

天香久山、天香語山、天香山、などと書かれる、この人は別名を「手栗彦」とも「高倉下(たかくらじ)」ともいう(先代旧事本紀p106)

いつものように神奈備HPさんのお世話になりましたが:
山城綴喜 棚倉孫神社「天香古山命 別名 手栗彦命」綴喜郡田辺町田辺棚倉49 という神社があり、「手栗彦命が棚倉孫に転じたと言われている」という瀬藤さんの注釈があった。(棚倉孫:たなくらひこ)

なるほど「手栗彦」を「たなくり」と読めば「たなくら」と近い。

さて、そうしてみると「武位起命」という名前があり「たけいたて」と読まれてきて、天香山のことである、と考えられている。これも「たけ・くら(い)・き」という読みが可能であろう。

すなわち「たかくらじ」「たなくり」「たなくら」「たけくらき」あたりが同一名称の発音のゆれの範囲なのかも知れない。


現在(2001/08)「天香山」と「カグツチ」の関連、というものがありそうで、調べている。

第一に「カグ山」と「カグ・ツチ」のように「カグ」が共通している、ということ。
次に、「天香山」の異名の一つに「手栗彦」があり、上記のように、タナクラ、と読むようになった場所・時期もあるが、「タグリ・彦」と読めば、カグツチを産んで火傷を負って死ぬ時にイザナミの「タグリ(嘔吐)」から生まれたのが「金山彦・金山姫」という。この説話から「手栗彦」という名称が出ていて、古事記では「金山彦・金山姫」の誕生潭になっているタグリだが、別の伝承では、タグリ=天香山、なのだろう。
他にも神社関係からも窺うことが出来ることがある、一例、カグツチと天香山が一緒に祀られている、天香山と金山彦が一緒に祭られている、など。

これらをヒントにして、カグツチと天香山が同一人物、または、親子、だったとすると、どういうことになるか、を調べているところである。


追記:2001/12/28:

  • カグツチが生まれて、イザナミ苦悩の際、タグリ(吐く)に成ったのが金山彦。
  • カグヤマには手栗彦という異名があり(先代旧事本紀&籠神社文書)
  • 「手栗」は「タグリ」とも読める。
  • 棚倉孫神社「天香古山命 別名 手栗彦命」
  • 一方、方言で吐くことを「オタキ(八丈島)、オタク(静岡・長野・岐阜)、オダク(茨城稲敷郡、オタキ(静岡)、エタク(山形、長野、岐阜、富山、福井)」などと言う(村山七郎著『アイヌ語の研究』)
  • 出雲風土記記載の式内社のひとつに:意宇の「意陀支社」(オタキ)があり、延喜式では「意多伎」と書かれる。松江市外中原町愛宕神社か(旧社地:安来市飯生意多伎神社)
以上の諸点を関連付けると、出雲の愛宕神社がオタキ神社に比定されるように、アタゴとオタキは同根の語であろう→オタキは吐くこと/吐いたもの→イザナミのタグリ→タグリ彦=手栗彦=香語山、という連鎖が見られる。

愛宕の本尊(?)はカグヤマではないか、ということを考えています。


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