日本古語の多重構造
熊谷氏の考察 1995
orig: 2003/06/08

熊谷氏の考察 95/11/14
(スタイル面で、当サイトの管理者が一部編集しているが本文内容は変改していない。)
転載について同氏のご了解を得た。

「新=にい」の人々。

さて、

》 それと新田原=にゅうたばると呼びますが、この新=にゅうはNewではないん
》ですね。小生は何となくNewだと思っていたんですが、全く偶然の産物なのです
》か。

は「新」=「にい」=「New」ですよね。

 しかし、「新=にい」というのはあまり日本語という感じはしませんね。ほと
んど熟語や地名、人名でしか使っていない。

 それで、「にい」を広辞苑で調べてみました。地名では、次のようなものが挙
がっていました。(以下、広辞苑に挙がっていた「にい」単語をA群〜F群に分
類してあります)。

 A群(地名):新潟、新津(にいず、新潟県)、新治(にいはり、茨城県、群 馬県)、新島(にいじま、東京都)、新居浜(にいはま、愛媛県)、(新高山: にいたかやま、台湾の地名?)。・・たぶん他にもあるでしょう。
 地名は、 ひとまず置くとして、 「NEW」という概念を表す日本語としては 「あたらしい(新しい)」「あら(新た)」「うい(初)」「はつ(初)」「は じめ(始め、初め)」「にい(新)」など、いろいろあります。なぜ沢山あるか というと、(1)意味が微妙に違うので使い分けていた、 という説もあるでしょう が、僕としては(2)日本が他民族社会だった頃のなごり、 ではないかと思ってい ます。  つまり、 「NEW」という概念を「にい」という言葉で表現していた人々 (「新=にい」族)が、ある時期に日本列島(の一部)で主流を占めていた時期 があった。  その仮設を立てて検証してみるとどうなるでしょうか。  彼らの文化史的な時代を想像させる語をB群として集めてみると次のようにな ります。
 B群:新糸(にいいと、作りたての糸)、新桑(にいくわ)、 新桑繭、 新衣 (にいごろも、作りたての衣)、新稲(にいしね)、新搾(にいしぼり、出来た ての酒)、新嘗(にいなめ)、新麦(にいむぎ=今年とれた麦)、新紫(にいむ らさき、染めたばかりの紫)、新米(にいよね)、新治(にいはり、新しく開墾 した土地)、新焼(にいやき、野焼きしたて原)。
 これらの語から想像される文化的な時代と言うのは、弥生時代(BC3〜AD 3)ではないでしょうか?。野焼きをし、開墾し、麦や米を植え、収穫に感謝し (新嘗)、酒を作り、桑を植え、蚕をそだて、糸を作り、衣を作り、紫で染める。 特に、桑〜繭というのは注目すべきで、弥生時代には九州で独占されていたよう です(※1)。従って、彼ら「新=にい」族は弥生期に稲作と絹を日本列島に持 ち込んだ人々の末裔ではないかと思います。  * 「にいどんぐり」とか「にい貝」とか「にい鹿」とか「にい鮭」とかいう 言い方はないみたいですから。縄文時代ではなさそう。    「にい鉄」「にい古墳」もない。  ※1 『図説邪馬台国物産帳』(柏原精一 河出書房新社 1500\)、 『邪馬 台国のあった弥生時代後期までの絹は、すべて九州からの出土である。近 畿地方をはじめとした本州で絹が認められるのは古墳時代に入ってからだ。 ほぼ同じ時代に日本に入ったとみられる稲作文化が、あっというまに東北 地方の最北端まで広がったのとはあまりの違いである。・・布目さんは次 のような見解を持っている。「中国がそうしたように、養蚕は門外不出の 技術だった。少なくともカイコが導入されてから数百年間は九州が日本の 絹文化を独占していたのではないか」』(MES 3 #01782 でび、#01788 熊 谷、参照)。  しかし、もう少し後の時代を想像させる語も2個ほど挙がっていました。
 C群:新防人(にいさきもり)、新島守(にいじまもり、新任の島守)。
 防人、島守の制度が何時から始まったのかは知りませんが、たぶん、古墳時代 にできた単語でしょう。しかし彼らがその時代の支配者であったとは思えません。 「防人、島守」という兵隊として狩り出された民衆が彼らの後裔であったことを 示すものではないかと思います。  次のD群をみると、彼らの結婚感も見えてくるようです。なかなか平和的で自 由で明るい恋愛〜婚姻制度が見えてきませんか。
 D群:新玉章(にいたまずさ、初めての手紙)、新妻(にいずま)、新手枕、 新枕、新栖(にいす、作りたての住処)、新室(にいむろ、新居)、新宮(にい みや)、新里(にいさと、まだ住み慣れない里)、
 また、死者に対しては、毎年定期的に行う、祖先祭り(後の「お盆」)を行い、 特に死んだ最初の年の祖先祭りでの扱いが重要だったようです。
 E群:新喪(にいも、服しはじめたばかりの喪)、新精霊(にいじょうりょう、 新盆を迎える精霊)、新盆(にいぼん)、
 広辞苑に挙がっているものは、上記以外には次のものがあるだけです。
 F群:新草(にいくさ、春先の草)、新学(にいまなび、18世紀の賀茂の真 淵の造語か?)、新物(にいもの)、新し(にいし、始まったばかり)、贄(に え、とれたての稲や食料を供えること「にいあえ」か?)。
 で、地名の話しに戻りますと、「にい」地名の残っている地域は、ある時期、 彼ら「新=にい」族が多く住んでいた地域を表わしているのではないか、と思う わけです。 熊 谷 秀 武
転載は以上である。 上記のように熊谷氏は広辞苑から語を拾ってこられた。古語に限る、という目的から、 私は今のところ『時代別国語大辞典上代編』にある語と、『倭名類聚抄』にある地名 に限ろうかと考えている。また、旧仮名遣いで表示しようと思う。

和語の多重構造トップへ
Homepage & 談話室への御案内
言語館の目次へ
総合目次へ
コメント、御感想など、メール・フォームへ