播磨風土記・宍禾郡御方里
葦原志許乎 vs. 天日槍命の争い
+α

orig: 99/05/19


御方の里:・・・御形となづける理由は、葦原志許乎命が天日槍命と黒土の志爾嵩(しに・だけ)に至り、それぞれ、黒葛3條を以って足に着けて投げた。その時、葦原志許乎命の黒葛は、一つは但馬の気多郡に落ち、一つは夜夫郡に落ち、一つはこの村(御方のこと)に落ちた。それで、三條(みかた)という。(なお)天日槍命の黒葛は3本とも但馬国に落ちた。それで但馬の伊都志(いづし)の地を占めた。・・・
もう一つ似たような話が、尾張風土記逸文「吾{糸蔓}郷」にある。それは、

阿麻乃彌加都比女(あまの・みかつ・ひめ)が夢にあらわれて、私を祭なさい、という。それで、祭る場所を決めるにあたって、「吾が{糸蔓}(かつら)の落ちる所にこの神が居る筈である」といって、その「かつら」を投げたのでしょう。落ちたところに神社を建てた。それで、その地名が付いた。


「カツラ」が「落ちる」、葛城と降臨、桂の木と神聖な降下、の関連に就いて述べたものがあります。「葛城と降下」をご覧ください。
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