邪馬台・考

orig: 2012/12/23

 「邪馬臺(邪馬台、と略記する)」を「ヤマタイ」と読むことが慣わしとなっている。それで良いのだろうか?
  1. 当時の日本語(倭語)の音韻体系、文法がどのようなものであったのかは殆ど知ることが出来ない。やむを得ず奈良朝の日本語(上代日本語)の知識をもって考えてみることにする。
  2. 上代日本語に関する種々の特徴やルールのなかに「二重母音を避ける」というものがある。これによれば「ヤマタイ」(あるいは単に「タイ」)のような音列は忌避されている。
  3. (「邪馬臺」ではなく「邪馬壹」であるとし「ヤマイ」という読みも提案されているが、「ヤマタイ」と同様に二重母音となる問題がある。)
  4. 上代日本語の「エ e (乙)」は「アイ ai 」という二重母音から発生したもの、という説がある(大野晋)(例:高市皇子 タカイチ→タケチ など)。これを援用すると、3世紀頃「ヤマタイ」という音であったものが奈良時代には「ヤマテ」となっている、という考えも成り立ちそうである(「ヤマダイ」→「ヤマデ」かもしれない)
  5. (「邪馬壹」の「ヤマイ」は奈良時代には「ヤメ」か、という話でもある。(なお、この「ヤメ」を「八女」に結びつけるには甲乙の問題ある。))。

ここでは「邪馬台」は「ヤマデ」と読み「山代」とも書きうることに着目する、「井代 ゐで」という言葉、用字があるからである。(参考:井手・猪手・井代 考
すなわち:

  1. その国名「邪馬台」の読みは「やまで」である。
  2. 「て」は方向などをあらわす接尾語であり「しろ」と似た意味である。(時代別国語大辞典上代編「しろ」の項)(「て」は連濁により「で」となりうる。例:「井代 ゐで ゐ+て」)
  3. ∴「やまで」と「やましろ」は「似た意味」である。
  4. 「て(で)」も「しろ」も漢字表記は「代」が可能。
  5. 「代」と「台」は同じ中国音(上古、中古)を持つ(下表参照)
  6. 「やま」を「邪馬」と写し、「で」を「台」とした
文字上古音中古音中世音現代音
d∂gd∂it'ait'ai
d∂gd∂itaitai

かと云って「邪馬台国」は今の京都山城である、とするツモリでは毛頭ない。やまて・やましろ 地名を色々当たってみるのが良いと思っている。

  1. 『出雲国風土記』に大穴持命の子どもである山代日子命がこの地にいるので山代の郷と云う、とある。
  2. 伊万里市東山代町
  3. 宮崎県小林市東方を流れる山代川
    和都賀野・考も参照。現代のことであろうが「尾山代」を「おやみで」と読む例がある。奈良・月ヶ瀬村の北に「尾山」があり、ここに「尾山代(おやみで)遺跡」がある。「山代」の部分を「やみで」と読むのである、つまり「代」を「で(←だぃ)」とするのは「邪馬台」を「山代」と仮定する拙論に照らして興味を惹くところである。
    上記「やましろ」に関して沖縄古語大辞典に下記がある。
    やしろ[山城]:「やまと」の対語で、本土を意味する。オモロ原注に「日本国の事なり」とある。山城の国をさすか。
    複合語に「やしろ・くに」「やしろ・ざけ」「やしろ・たび」「やしろ・にんじゅ」がある。

    即ち、「やまと」も「や(ま)しろ」も日本国(和国)を広く指し示す語であったようだ。



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