「ヨド」の周辺(1)
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ORIG: 2004/06/01
都味歯八重事代主と三嶋溝杭の娘、活玉依姫、の間に「天日方奇日方」が生まれる。その妹が「姫鞴五十鈴姫」で神武の皇后である(先代旧事本紀)。これが日本書紀では、事代主と玉櫛媛との間の娘が姫鞴五十鈴姫だ、となっている。三島溝杭の娘である、ともしているので、活玉依姫と玉櫛媛は同一人物と思われる。

先代旧事本紀都味歯八重事代主三嶋溝杭の娘、活玉依姫天日方奇日方 姫鞴五十鈴姫
日本書紀事代主玉櫛媛(三島溝杭の娘)姫鞴五十鈴姫
『書紀』の記事「事代主神、八尋鰐になって三嶋溝くひ姫、或いはいわく、玉櫛姫に通い給う」があるが、積極的に川を遡ったとは書いてないが鰐が通うなら水路が必要ではあろう。また、神武后の出自に関する『古事記』の記事、「丹塗矢が溝を下って」、とあるのを併せ読むとワニが通った経路は川であることが推定できる。ワニが女性を慕って川を上る、という話は風土記に二例ある。

ひとつは『肥前国風土記』小城郡条の記事で、

「海神 謂鰐魚」(海神、ワニと謂う)が「佐嘉川」を遡って「世田姫」に会いに来る、
という説話がある。この姫の名は「与止日女神社」「淀姫神社」に残り、また、後代の表記のようだが「豊姫」とも書かれる。すなわち、この姫の名が「ヨタ、ヨト、ヨド、ユタ」と揺れていることを見ることができる。

『出雲国風土記』仁多郡条では次のように書いている。
戀(したひ)山:和爾が阿伊の村に居られる神「玉日女神」を慕って登ってくる。石で川を堰き止めたので会えずに慕っていた。それで「したひやま」(戀山)という。
この出雲の伝承では女性の主人公の名前が「玉姫」とあり、上記の「玉依姫」の伝承と、ワニが川を上って名前に「玉」のつく女性に会いに来る、という共通のモチーフが観察される。

さらに興味深いのは出雲伝承の舞台が「阿伊の村」でありそこには「阿伊川」が流れる。

一方、三島溝クヒの領域と思われる大阪府茨木市には「安威川」が流れ、安威川は溝咋(みぞくい)神社の脇を通り、摂津市三島を流れ、相川で神崎川に合流している。

ワニに化した事代主が玉依姫に会いにきたのは、この安威川を上ってきた、という伝承であろう。(また、丹塗矢の伝承も安威川を舞台とすることにより、アイヌ語の ay が「矢」を意味する事とも関連していそうである。)

神崎川は淀川の分流で、起点を摂津市一津屋とし自身で大阪湾へ注いでいる。大阪の河川は流路の変遷が大きかったようだが、三島溝クヒの領域にある安威川、淀川の名称は、『肥前国風土記』『出雲国風土記』に出てくるワニの話に共通な名称(ヨド、アイ)と見られる。すなわち、三つとも同根の伝承が姿を変えてきたものであろうと思う。

ここまでで、神代から神武期に渡ってのワニ出現を見てきた。
コラム: 参考 アイ、アヰ、アヒ
「安威」の音は「アヰ」である。
倭名抄の摂津国の部に記載される地名であり少なくとも10世紀には
遡ることができる。(それより古い保証は見つけていない。)
安威川の神崎川への合流地点「相川」は「アヒ川」である。
「阿伊の村」:「アイ」という二重母音の出現が不審ではある。
(「ヤ行」の「イ」というものでも考えることが出来るのだろうか?)
出雲仁多郡には上記の「阿伊(あい)川」の他に、「阿位(あゐ)川」がある。
「安威川」との音の整合は、こちらの方が高い。「アイ」「アヰ」「アヒ」は
互いに通じている、と考えて良いかも知れない。
(参考:「ハ江」「ハヘ」)

摂津国風土記(逸文)に出雲の「したひ山」に対応するような話が残っている。 「下樋(したひ)山:昔、大神があった、天津鰐と言った。 鷲に化して、この山に下り止まって、(通行人)十人行けば五人を行かし、 五人を留めた。クハヲという者がいた。この山に来て下樋(地下の水道)を 伏せて神の許に至って、この樋の中から通って祈祷して祭った。 それにより下樋山という。」 「したひ」が出雲では「恋」と翻案され、摂津では「下樋」と理解されて いるようだ。物語の筋も異なってはいるが、「ワニ」と「したひ」が 共通モチーフだ。原点、原義は何であったのだろうか。


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