その伝承者 |
つい2、3年前まで、自分も一切知らなかったユーカラに就いて、少しでも多くの方に知ってもらいたいと考えるに至りました。ユーカラを「和人世界」に紹介するに関しては、国語学者の金田一京助の甚大なる力がありました。このページでは、主として金田一の紹介になる、恐らくは最大の伝承者、金成まつ、に就いて述べます。 「金成まつユーカラ集」金成まつ著、金田一京助 訳・注、三省堂 [全7巻] (第8巻と第9巻には鍋沢ワカルパ他のものが載せられている)が中心的存在だと思われます。 金田一の文から:
金成まつ、アイヌ名イメカヌ、(1875.11.10 - 1961.4.6)。これから、執筆したのは54歳から70歳の期間ということになります。 彼女は明治25年(1892)18歳(数え年)の時にキリスト教の伝道学校に入り、31年(24歳)に卒業し、日高の平取の教会に勤務し、明治42年(35歳)から17年間旭川郊外の近文で伝道に従事。ここで大正7年、アイヌ語の調査に来た金田一と出会います。 金成なみ、まつの妹、は知里高吉に嫁いで知里幸恵、高央、真志保をもうけます。この最後が彼の知里真志保です。長女の幸恵は伯母に当たる金成まつの養女として、まつの所に居たので、金田一もこの時(上記の大正7年)まつと幸恵と一緒に話をします。 次いで、知里幸恵が東京の金田一の家に滞在します、この際、幸恵は自筆の「アイヌ神謡集」を持参します。自筆のアイヌ語、日本語訳つき、です。これは後に岩波文庫(赤80−1)として出版されます。金田一はこの聡明な幸恵からアイヌ語を究めます。幸恵は心臓病から、わずか20才で大正11年、この世を去ります。 次いで、金成まつ、が金田一の家に招請されます。金田一が多忙で面倒見られなかった間に、まつは自分でローマ字でユーカラを筆録し始めます。そして、上記の17年間に、なんとノート17、000ページに亘る大著を完成します。 これに金田一が訳・注を付けて三省堂から全7巻の「金成まつ ユーカラ集」が三省堂から世に出ます。 流石に(?)国も「この大量のアイヌ文学記録化の功績が見いだされて、昭和31年、無形文化財に指定され養老年金の出る身となり、次いで、紫綬褒章を下賜された。本年、数え85歳、まだ幌別郡登別町にかくしゃくとして健在である。」(本年とは、1959頃のこととなる。没年は1961。享年86才。) |