ユーカラ語り部の家系 |
お気づきの点がありましたら是非補訂ください。
念のため何故彼らに注目するかと言うと:
という風に、後代にアイヌの伝承やアイヌ語語彙・文法を遺してくれた人達だからです。
(以下の系図は I.E. ではフォントサイズ「中」で最適です。Netscape なら、プロポーショナルフォントに「MSP明朝」、サイズ「12」を使うと最適です。)
(*)
ラサウ−+−パウンデ(男) ハエプト−−知里高吉
| ||−−−−+− 知里幸恵
+−モナシノウク(女) +− 金成なみ(妹) +− 知里高央---むつみ
||−−−−−−−−−| +− 知里真志保---2男3女
+−ハウリレ +− 金成まつ(姉)
+−ナナシ
+−シンナイウク
+−レルラ
||
和人−−−−カンナリキ(後の改名:金成喜蔵)
上記系図は小生があちこちからの情報をつなぎ合わせて作ったものですが、良く判らない点があります。
それは、知里高央(たかなか)の娘、むつみ、は高央の「アイヌ語絵入り辞典」の序文で「私の家系はチリパとカンナリキの血を引くアイヌです。」と言っているのですが、
「カンナリキの血を引く」と言うのが、上記からは???となる。カンナリキの姻戚ではあろうが。。。
とお願いしていたところ、札幌の方から、
「チリパ」と「ハエプト」については、『知里幸恵 十九歳の遺言』(中井三好著 彩流社)の中で、「登別のアイヌ豪族チリパ・ハエプト翁の孫娘として生まれ・・・」という記述があるので、同一人物と思われます。 |
とのお知らせを頂きました。ありがとう御座います。(99/03/16追記)
なお、カンナリキは明治初期の幌別の巨酋で、姓を付けるときに「金成」を使ったので一族が金成姓を使ったそうです。(ユーカラ集解題P5)カンナリキの「父は和人であったから{本人がアイヌ社会に復帰するに当たり?}カンナ(再)アリキ(来)とつけたのがもとの名」の由です。「 」内原文。{ }内引用者。
知里高央の「アイヌ語絵入り辞典」は「アイヌ語→日本語」は勿論のこと反対の「日本語→アイヌ語」もあるので入門には便利です。
知里幸恵は上記のように僅か20才で亡くなってしまうのですが、金田一京助との出会いで、アイヌ語への誇りに目覚め、14編の「神謡集」を著しながら金田一邸でアイヌ語を金田一に教えました。この間の両者の、恐らく親子のような、慈しみが金田一の書物の各所に記されていて、才媛の夭折が悔やまれます。和人に混じって学んでもトップの成績であった由。
知里真志保も姉、幸恵、に劣らぬ秀才で、殆ど準備なしで一高(旧制・第一高等学校)に受かり、東大に進み、語学の才能を発揮したそうです。多くの著書があるようですが、私の見た範囲では、「アイヌ語入門」「アイヌ語地名小辞典」「アイヌ語法概説」「アイヌ語における母音調和」などがあります。確か、この人が集めたユーカラ集、ってのもあったような。。。幼少時代には日本語で教育され、東大に入ってからアイヌ語を勉強した由で、アイヌ人によるアイヌ語学、として特別視されるのは、それは違う、と言ってます。しかしながら、和人(或は他のノン・アイヌ)から見たら、アイヌ語への理解・洞察の深さが違う、と思いますね。
参考文献: 知里幸恵 アイヌ神謡集 岩波文庫 赤80−1 知里高央 アイヌ語絵入り辞典 蝸牛社 知里真志保 アイヌ語入門 北海道出版企画センター 服部四郎 アイヌ語方言辞典 岩波書店 金成まつ ユーカラ集(I) 三省堂