所造天下大神 その2・白鳥説話へ |
大国主命の語義や性格に近いものがアイヌの伝承にもあったようである。幾つか気になる点を書き留めて置きたいと思う。基本的な視点はアイヌの方の「kotan kar kamuy 国を・造る・神」と大国主の別名とされる「国作大己貴命」(日本書紀)、「所造天下大神」(出雲風土記)の比較にある。 知里真志保著作集(全6巻)の第二巻に「呪師とかわうそ」という論文があり、これから勉強してみる。ここで「コタン・カル・カムイ」の異名が集められている。
これらの異名とそれらにまつわる説話から知里真志保はコタンカルカムイ(国造神)の性格を規定して:
2.に関して言えば播磨風土記(託賀郡条)常陸風土記(那賀郡条)始め全国的な巨人伝説、ダイダラボッチ、を思い起こすことが出来る。大国主に関しても、足に葛の蔓をつけて足で投げたら何10kmも先の方に届く(播磨風土記)など巨漢になぞらえる伝承もある。八束水臣津による国引き物語も巨人伝説の一脈なのであろう。 3.に関して、イム、とは一種のヒステリー状態、神懸かり状態になることらしいが、知里真志保は、種々の伝承から抽象して、さくっと、「巫術(をする)」とした。大国主に翻って見ると書紀では「鳥獣や昆虫の災異を除く為に『まじないはらう』方法を定めた、とあるし、白兎の治療とか、少彦名を温泉で生き返らせるとか、彼自身が八十神に襲われて何度か死んで生き返るとか、スサノヲによる試練をかいくぐるとか、まぁ、巫術の使い手と考えても差し支えあるまい。 スサノヲが大国主に与える試練の一つに野原に行かせて火を放つというのがある。そこへ鼠が出てきて「内者富良富良、外者須夫須夫」(内はホラホラ、外はスブスブ)という、とある。岩波頭注では「内部はうつろで、外部はすぼんでいる」と書いているが、これでは意味不明である。前半の「ホラホラ」は「うつろ」でも良かろうしアイヌ語の poru=ほらあな、洞窟、土の中へ入ってゆく穴、とも合致する。後半の「スブスブ」はアイヌ語 supuya=煙 (或いは siruhuy=野火)を考えるとより良い説明になりそうである。 上表でo-kiki-ur-mi(i)をスクナヒコのことではないか、と書いた。それに就いては「少名彦の語義」を参照願うが、記紀では大国主とスクナヒコは別人格であるのに、上表のように知里説ではオキクルミと国造神は同じとしている。 このような混乱はアイヌ伝承の中で既に起きていて、中川裕の千歳方言アイヌ語辞典ではオイナカムイと「アイヌラックルやオキクルミとの同一視はない」としている。知里真志保自身もサマイェクルに関して北海道南部ではオキクルミと別人でサマイェクルはオキクルミに劣る、とし、北海道北部と樺太ではサマイェクルがオキクルミよりも優れているとしている。 即ち、伝承は代々正確に伝えられてきている、とは良く言われるものの、混乱のある方が自然だと思う。多くの事跡が一人の業績として語られたり(大国主、神武天皇など)同じ業績が二人(以上)の人に帰せられたり(例:初国しらす天皇が神武と崇神に与えられる)してしまう、ということは、今、これら伝承を考えるに当たって許容すべき、というか、承知しておくべきことだろう。
コタンカルカムイ(国造神)の憑き神は kanto kor kamuy (天国を・所有する・神)で「竜・蛇」のこととされている。大国主の幸魂奇魂(和魂、大物主)であって、その実体が「蛇」であったことと符合しそうである。かくしてアイヌのコタンカルカムイと大国主にその性格に極めて近いものがある、と考えている。いずれも縄文起源の説話(信仰?)の裔ではないか、と考えている。(知里真志保全集2,P212) |