タイトルは、大上段にふりかぶっていますが、なかなか総括・まとめは難しそうなので、散文調子で気軽に起稿させて頂きます。追々、改良するとして。。。
- 語順が日本語とほとんど同じである。
- (例)形容詞が名詞の前に来る、赤い靴 hure kema。
逆に、kema hure のように置くと、靴が赤い、という意味になる。
poro | so | ratki | wa | an |
大きな | 滝(が) | 流れ落ち | して | いる |
- タ行に特徴がある、即ち、日本語は、ta chi tsu te to に対してアイヌ語は ta chi tu te to と言う風にアイヌ語には、 tu の音があり tsu の音がない。(逆に日本語には tsu はあるが tu がない。それで仮名にも tu を表す仮名がない。それでアイヌ語の tu を仮名文字で表記するにあたっては「ト」に半濁点をつけて「ト゜」と書くようにしている。)
- 日本語は開音節(母音終わり)だけだが、アイヌ語には閉音節(子音終わり)の言葉もある。put=河口、pu=倉、など。
- 濁音がない。実は前後関係とか音便みたいな処で濁音に発音する人・場所もあるようだが、同等の清音で発音しても理解される。即ち、音韻として見る限り清濁の区別がない。 pet = bet = 河川。
- 但し、念のため付言すると、hとpは区別されている。hu=生(ナマ)である/生になる、pu=倉。
- rが語頭に立ちうる、rik=高い、など。和語では語頭r音がない。r が語頭に立たないのがウラル・アルタイ語の特徴。よって日本語は、或いはこの限りに於いては、それに属するのかも知れないが、アイヌ語はこのルールから見るとウラル・アルタイ語族に属さない。
- 二重母音がない、と知里真志保さんは強調しているけど、ay, nay, など正綴法の問題のようにも見える。つまり、ai, nai と綴っていけない理由がなさそうである。
- 同様、二重子音もない、とされている。但し、複合語の場合には、asikne-n =五・人、を掲げてある(知里真志保著、アイヌ語入門 p134)
- なお、sと書くかshと書くかは正綴法の問題であり、音価は「シュ」に近い、発音記号で言えば長いsの記号。但し、人・場所により普通の「s」で発音しても良いようである。即ち、sとshの区別はない。
- 数詞の6から9に減数法が使われている。参照、アイヌ語の数詞
- 千島列島とカムチャッカ半島の地名を見ると、アイヌ語地名は北上したもののようであり、南下してきたものではない、村山七郎著「アイヌ語の起源」(三一書房)
- 結構日本語と同じ単語が見つかるが、はて、同起源によるものか、借用に過ぎないものか、判定が難しいはず。大抵の本には、アイヌ語が和語から借用した、と書いてあるが、どうしてその逆ではないと言えるのだろう。(例)tama 玉、tomari 港, kamuy 神, yu 湯・温泉,nusa 幣, nonno 仏, nitat 湿地(仁多)・ヌタ, tay 林(八幡平), muy 箕。
- 母音調和のこと:知里真志保さんは、アイヌ語にも母音調和がある、としている。同時に、母音調和は、ウラル・アルタイ語に限る必要無く、世界のあちこちに見られる現象だともしている。だから、アイヌ語がアルタイ語に属するかどうかと母音調和の有無は、あまり関連させない方が良いかもしれない。
しかしながら、アイヌ語に母音調和があるかないか、に就いては、知里さんの説では、単語に付く語尾の母音が、語根の母音に支配される、という話であり、語根の中で母音調和が観測される訳ではない。従って、これが、普通に言うところの母音調和とするには抵抗がある。。。
[2001/05/05追記]『知里真志保著作集3』(p46)に:「ア、ウを甲類」「オを乙類」「イ、エを丙類」と名づけて分類するならば「名詞や動詞の語幹を形成する際に、語根に甲類の母音が来るときは、語尾の母音も甲類であるか、或いは丙類でなければならないし、語根に乙類の母音が来る際は、語尾の母音も乙類であるか或いは丙類でなければならないのであって、甲類の母音と乙類の母音とは、絶対に同一の語幹の中に同居する事が出来ないのであります。」とある。この最後の「語幹の中に同居出来ない」というのは、聊か解せないものがある。反例として、oka-, sapo, iyapo, ranko, rakko, ota など甲類と乙類が同居している。知里さんの趣旨が一つ判らないところだ。
- アイヌ文学の特徴の一つ:(知里真志保編・著「アイヌ民譚集」(p236)
「同語を反復し、対語で畳み、時には頭韻を利かせて、流れるような行文の上に汲みとるばかりの音調美をただよわせていることがある。」 参考例など。。。
とりあえず、ここまで。。。。
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