神武紀・尾のある人 |
sar | 尾、葦原、湿地 |
sar-un-kur | 葦原に・属する/居る・人 |
sar-us-kur | 尻尾の・ある・人 |
一つの傍証として、奈良県吉野郡川上町に「喜佐谷」という地名があります。(これの古さが不明なのが弱いのですが)アイヌ語の kisar も「葦原」を意味します。(他に「耳」の意味もありますが)
「井光」に関して岩波古典文学大系の日本書紀の補注(p579)には次のような記述があります。
その後、丹後風土記残欠に類似の名前が幾つか見付かりましたので、比較を試みております。(98/09)→丹後と吉野の関係?
紀記での神武天皇の条では「井光」「井氷鹿」が吉野首部の祖、となってます。今まで、何となく男性だと思っていたのですが、「祖」ともあるし、姓氏録から見ても女性だったようです。
さて、この女性は自分の名前を「豊御富」と名乗ったのに、天皇は「水光姫」と名づけたというのには、何か因果関係がないでしょうか。
「富」の部分に関しては、アイヌ語 mike と tom には「光る」の意味があり、tom-i で光るもの・光る場所ほどの意味になります。「御(み)」は mikeを「水」と写し、「富」を意訳して「光」と写し、「水光」としたのか、との推理をしております。
なお、「加弥」の「弥」ですが、これは「彌」の略体字でしょうから、紀記・万葉の用例では「ミ(甲類)」と読むのが普通でしょうが、現代では「ヤ」と読みますね。いつ頃から「ヤ」に変わったのでしょうか。姓氏録の書かれた時代では、どうだったのでしょう、など知りたいものです。(なお、「神」の読みでは、カミの「ミ」には「微・未」等の乙類が使われてますので、「加弥」を「カミ(甲類)」と読んだとしても「神」の意味ではなさそうです。「上」とか「髪」にはなり得ますが不明です。)
或いは「加弥・比加尼」と区切っては不可で、「加・弥比加尼」で(「加」は不明)ミヒカニとかミヒカヂと区切って「水光」(ミヒカリ?)の訛りと考えるべきでしょうか。
2006/12/20追記:上に『「加」は不明』としたが、沖縄古語辞典に「かは=井戸、泉」などとある。これを参照すると「加弥比加尼」の語義は「井・水・光・に(ぢ)」「井・水・光り」と復元できようか。