私註・神武紀・彦火火出見

orig: 97/02/03
rev1: 97/09/07 伊勢の語源, cosmetics
rev2: 97/09/09 伊勢の語源、別ファイルに
rev3: 97/11/24 賊退治、別ファイル
rev4: 98/05/16 最後に図式添付、強調・色など小変更


神武紀の書き出しで神武天皇の「諱(いみな)を彦火火出見と云いウガヤフキアエズ(略称しました)の第4子」とあります。この記述の周辺から攻めてみたいと思います。

神武紀の直前になる神代紀の最後に、神武天皇の名前に関して本文以下4つの異説が掲げられて居ます。(古事記の説も追加しておきます、99/05/19) 即ち、

文書長男二男三男四男
本文彦五瀬命稲飯命三毛入野命神日本磐余彦尊
第1彦五瀬命稲飯命三毛入野命狭野尊または神日本磐余彦尊
第2五瀬命三毛野命稲飯命神日本磐余彦火火出見尊
第3彦五瀬命稲飯命神日本磐余彦火火出見尊稚三毛野命
第4彦五瀬命磐余彦火火出見尊彦稲飯命三毛入野命
古事記五瀬命稲氷命御毛沼命若御毛沼命 亦名
豊御毛沼命 亦名
神倭伊波禮毘古命
それらの中で、諱を彦火火出見とし、且つ、ウガヤの第4子とするものは、第2の一書だけです。何故、これを本文に採用して、神武紀の本文と整合させなかったのか、不思議です。彦火火出見、はニニギの子の名前でもあり重複(或いは混乱?)して居そうでもあります。

早速、「火火出見」にアイヌ語を当てはめてみます。取りあえず、後半の「出見」が興味あるものとなります。出る(自動詞)= san、 見る= nukar、ですので、この部分が san-nukar となり、神武の幼名「狭野」(さぬ)の音を含みます。 nukar は nu-kar と分離できて「目(を)・作用させる」から「見る」と言う意味を持つ語で、nu だけが、丁度、「出見」の「見」に対応しそうです。アイヌ語辞書では「目」の語根、とあります。

「火」に釣られて、もう少しアイヌ語辞書を調べてみますと、nuy=炎、と言う言葉があります。nuy-kar で「炎(を)作る」と言う意味になりますので、出雲熊野大社での火きり神事との絡みにも関心が持たれます。 san-ke nuy だと「出す(他動詞)炎」の意味で「三毛野」と非常に近い音になります。
また、「狭野」に就いては出雲風土記国引きの条で、八束水臣津が「出雲の国は狭布(さぬ)の稚国なるかも」と宣ったのを想起します。

また、神武の兄弟に「三毛入野命」が居ます。前半の「三毛」は一般に「ミケ」と読まれていますが、万葉集の例では少ないながらも、「三」を「さむ」と読む例があるにはありますので、「三毛」を「さむけ」と読むと、sanke=出す(他動詞)との対応も引き出せます。即ち、四兄弟の内の二兄弟の名前に相通じる要素(san 出)が観察できそうです。

「三毛(入)野」を「ミケヌ」と読む場合には、出雲国造神賀詞(祝詞)に「かぶろき熊野の大神、櫛御気野命(くしみけぬのみこと)」とあり、同名になっています。同名異人なのか、同一人物か、は俄かには断定できないものの気になる酷似です。この場合、「ミケヌ」でもアイヌ語では意味が取れまして、mike-nuy と理解すると、輝く・炎、になります。「火明命」という名前とも通じるものがありそうです。

「かぶろき<かむろき<神ロキ」でしょうが、「ロキ」はアイヌ語の rok-i =座る・処、が奇妙に対応しそうで注目してます。北海道に「カムイ・ロキ山」がある。(山田秀三「北海道の地名」では6箇所が索引に上がっている。足寄駅北4kmのものを地図上で確認済み)kamuy-rok-i 神(熊)が・座る・処)もし、「ロキ」が独立し得る単語だとすると、日本古語にはラ行で始まる単語は例を見ませんので、アイヌ語などで、考えてみる必要のある言葉でしょう。

出雲は、また、国譲りの交渉にやってきて失敗したとされる「三熊大人(みくまのうし)」の来たところでもあり、ミクマ(m_k_m_)とか、ミケヌ(m_k_n_)の単語が、この辺りの話のキーワードの一つでありそうです。

棚に上げて置いた「火火」ですが、fire の意味なのかも知れない一方、アイヌ語の po が「子」を意味するし、被所有格「〜の子」なら poho でばっちりだし、単純にpo^2 で「孫」かも知れない(popo=孫、の用例がユーカラのどこかにあった様に思います。)なお、「孫」を意味するアイヌ語の最も多用されると思われる言葉は、mippo であり、「美穂津姫」、「美保の関」の「美保」に残っていそうに見える。(この「ミホ」が「卑弥呼」と関連あるのではないかと論じたものを挙げてあります。卑弥呼はヒミホでは?)

序でに掲げて置くと mit-mippo は曾孫を意味し、「手研耳」などの「耳」との関連もありそうでメモしております。参考:耳垂の話

美保神社の祭神は事代主と三穂津姫となっていて、三穂津姫は高皇産霊の娘であり、大国主の后、となっている。京都府亀山市の北の千歳町にある「出雲大神宮」の祭神は、大国主+三穂津姫となっている。高皇産霊の「孫」だと mitpo でバッチリなのですが。

    ★「卑彌呼」の「呼」は本当に「コ」を表したのだろうか、「ホ」を表している筈ではなかろうか。(参考:魏志倭人伝の人名の音)とすると、「日・三保(御穂)」の線を考えてみなくてはいけないように思っています。(97/11/24追記)

    「伊勢」の語源は別ファイルにしました。97/09/09

あちこち寄り道しましたが、「火火出見」の原語は popo-san-nu、で、その原意が「孫・出る・見る」だったので「狭野尊」と言う幼名も伝わったのではなかろうか、との語義探索でした。


上記の相互関連をを図式風に書いてみると:(音=音訳・音写、 義=意味の翻訳)

         三毛野←(音)→ sanke nu(y)(kar) (=出す・炎)   
                              ↑
                              ↓
火火出見←(音音義義)→ popo san nu(kar) = 孫・出・見 
                 或は  popo san nuy(kar)= 孫・出・炎 ←(義)→火明命
                              ↑                              
                              ↓(音写)                              
                             狭野
神武紀の征討記事に出てくる賊の名前、地名などは別ファイルにしましたので、ご参照下さい。神武紀の賊へ。
Homepage & 談話室への御案内
目次へ
神武紀・国状描写へ
神武紀・賊の名前と地名へ
神武紀・井光へ
メールのご案内へ