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 1.大己貴神  | 
 田心姫  | 
 味鋤*高彦根神  | 
 倭国葛上郡高鴨坐神捨篠社  | 
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 下照姫命  | 
 倭国葛上郡雲櫛社坐  | 
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 高津姫  | 
 都味歯八重事代主神  | 
 倭国高市郡高市社坐、亦甘南備飛鳥社  | 
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 高照姫大神命  | 
 倭国葛上郡御歳神社坐  | 
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 稲羽八上姫  | 
 御井神  | 
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 高志沼河姫  | 
 建御名方神  | 
 信濃国諏方郡諏方神社坐  | 
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 2.都味歯八重事代主神(鰐と化して)  | 
 三島溝杭女活玉依姫  | 
 天日方奇日方命  | 
 神武朝食国政申大夫  | 
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 姫鞴五十鈴姫命  | 
 神武皇后  | 
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 五十鈴依姫  | 
 綏靖皇后  | 
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 3.天日方奇日方命*  | 
 日向賀牟度美良姫  | 
 健飯勝命  | 
 *亦名、阿田都久志尼命  | 
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 渟中底姫命  | 
 懿徳皇后(多くは安寧皇后とする)参照原文に錯乱ありそう。調査中  | 
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 4.健飯勝命  | 
 出雲臣女子沙麻奈姫  | 
 (健甕尻命)  | 
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 5.健甕尻命*  | 
 伊勢幡主女 賀貝呂姫  | 
 (豊御気主)  | 
 *亦名、健甕槌命 亦 健甕之尾命  | 
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 6.豊御気主命*  | 
 紀伊名草姫  | 
 (大御気主命)  | 
 *亦名 健甕依命  | 
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 7.大御気主命  | 
 大倭国民磯姫  | 
 (阿田賀田須命)  | 
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 (健飯賀田須命)  | 
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 8.阿田賀田須命*  | 
 鴨部美良姫  | 
 (大田々禰古命)  | 
 *和迩君等祖  | 
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 9.大田々禰古命  | 
 出雲神門臣女美気姫  | 
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 10.大御気持命  | 
 出雲鞍山祇姫  | 
 大鴨積命、大友主命、田々彦  | 
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 11.大鴨積命  | 
 神部直大神部直  | 
さて上の先代旧事本紀記載の系図と古事記(崇神記)を読み比べてみるとこうなる。
| 先代旧事本紀 | 古事記 | 備考 | 
| 都味歯八重事代主神 | 大物主神 | 父 | 
| 三島溝杭女活玉依姫 | 陶津耳命女 活玉依毘賣 | 母 | 
| 天日方奇日方命 | 櫛御方命 | 子 | 
ここで、「天日方・・・」の「ヒカタ」と「櫛御方」の「ミカタ」が通じているであろうことが観察できる。母の名前は同じ「活玉依」ヒメである。従って、源は一つであった伝承が一つは事代主−三島溝杭と伝わり、他は大物主−陶津耳、と伝わったものであろう。
播磨風土記(2)の地名で「ミカタ」地名を re ka-tak 即ち「三つの・糸の・固まり>糸玉(木の繊維で作った糸・の玉)」と考察した。夜毎、活玉依毘賣を訪ねてくる大物主に糸をつけて追跡したら最後に糸が「三輪」残った、という話しがある。そういう伝承のあるカップルから生まれた子が「ミカタ」という名前だ、というのは、このアイヌ語 re ka-tak が良く整合する。従って古事記の「櫛ミカタ」が原形で先代旧事本紀の「天ヒカタ・・・」が訛り、と考える。add:2000/12/06
| ところで、ヒカタは日本語でも、アイヌ語 (pikata) でも「南、南風、南西風」を意味するという(萱野辞書)。南風とは「ハエ」である。「天日方奇日方」の父は「都味歯八重事代主神」である。「八重」は従来「ヤエ」と読み慣わして来ているが、欠史8代の后妃の出自である「磯城縣主 葉江」とか、神武天皇の大和戦争で功績があった磯城縣主「黒速」という名前もあり、「八重」もこれらの「ハエ」につながるとすると「天日方・・」の「日方=pikata=南風=ハエ」が現実味を帯びてくる。[2001/04/21追記] | 
この表に更に山城賀茂の伝承を併記してみよう。
| 先代旧事本紀 | 古事記 | 山城風土記逸文賀茂社 | 
| 都味歯八重事代主神 | 大物主神 | 丹塗矢=火雷神 | 
| 三島溝杭女活玉依姫 | 陶津耳命女 活玉依毘賣 | 賀茂建角身命→玉依日賣 | 
| 天日方奇日方命 | 櫛御方命 | 可茂別雷命 | 
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こう併記したのは一つには、「陶津耳」(スヱ・ツミミ)と「賀茂建角身」(カモタケ・ツノミ)の後半の類似を指摘するためである。この指摘は恐らく新しいことではないだろう、というのは崇神紀に「陶津耳の娘・・・別説では奇日方天日方武茅渟祇の娘、とも言う」とあり、ここの「武茅渟祇」(タケ・チヌ・ツミ)は「建角身」(タケ・ツヌミ)と甚だ近いからである。 そしてもう一つは前半に就いて「陶」(スヱ)が従来「須恵器」と理解されてきたことに関してである。即ち、和名抄が言う 和名抄の「仮髪」の直前には、カツラも出ている。 芥 という字で(それが本字で「鬘」は誤字らしいが)「和名 加都良」(カツラ)とある。「髪の少ないのが、これでもって、その髪を被助するもの也」と説明している。 「陶」は「須恵器」かも知れないが(須恵器登場の時代と陶津耳の時代との整合に問題ありそうだが、それはともかく)「カツラ」の意味が隠されてはいまいか。そう「葛城」コネクションである。 念押しすれば:陶津耳=カツラ・ツヌミ=(葛城は鴨、だから)賀茂(建)角身、であろうか、という提案である。  | 
| 古事記神代7代に「角杙神・妹活杙神」というカップルがある。(日本書紀一書では「妹」の字は無い。)「角」と「活」の対になっている。下表の親娘関係が同じ事に対する異伝承である、と考えると、「角身」と「活玉」を親娘と考えることができ、そうするとここに「角」対「活」を見ることができる。 
 
 
 
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| 「溝杭」と「角杙」が類語として、更に{溝・角}と{活}が類語(または対語でもよい)になるような解釈の出来る方法がないだろうか。 | ||||||||
| 「建角身」の異伝「武茅渟祇」の「茅」を「葦」と変換して良ければ、最初の神(の一つ)「ウマシアシカビ」は「ウマシ・アシ・ツノ」と同義と考えられ(参照)鴨の伝承から、ウマシアシカビと角杙神・妹活杙神、が記紀に採用されたかに、窺えるがどうだろうか。 |